ウクライナで避難民に命がけで物資を運ぶ牧師 愛知からできる支援とは…

ポーランドにまで戦火が飛び火し、見通しの見えない戦いが続くなか、ロシアから奪還した街に家族を残した避難民が愛知にいます。現地から聞こえてきたのは、“奪還”とは言えない危機的な状況でした。
5か月前にウクライナから愛知に避難してきたデルカッチさん一家。
家族は安城市内の県営住宅で暮らしています。
夫のヴァレリさんはウクライナで経験のあった内装関係の仕事に就き、妻のオレーナさんもネイルの仕事を日本でも続けています。
子どもたちは市内の小学校に通い、徐々にここでの生活にも慣れてきました。
しかし、気がかりなのはウクライナに残る家族。
三女・エリザベータちゃん(6):
「おじいちゃんとおばあちゃんがウクライナにいるのに、帰れなくなっちゃったから悲しい」
大好きなおじいちゃんとおばあちゃんは今も危険な場所で十分な食料もないまま暮らしています。
オレーナさん:
「両親はクピャンスクに住んでいて、“自分たちの土地を絶対に離れない”と言って避難していません」
クピャンスクはロシアとの国境から近い場所にある小さな町。侵攻が始まった直後からロシア軍に占領されていました。
しかし、今年9月。ウクライナ軍がこの地域を奪還。
町に平和が戻ってきたかと思い、安心していたオレーナさんでしたが。
オレーナさん:
「ロシアはまだ爆撃を続けているんです」
ロシア軍は撤退したものの、ロシアとの国境に近いクピャンスクはいまだに爆撃が続いていて、町の人たちの生活を脅かしているのです。
オレーナさんの両親も生活に苦しんでいました。
しかしー。
オレーナさん:
「ユリー牧師は両親にたくさんの食料を持っていってくれたんです。初めての支援に父は泣いていたみたい。感謝しています。ユリー牧師は命をかけてとても大事なことをしてくれています」
ユリー・クリムコ牧師(57)。クピャンスクで牧師をしています。
9月にクピャンスク奪還後、危険と知りつつ、オレーナさんの両親のように避難していない住人のために支援物資を運んでいます。
ユリー牧師はスロバキアの国境近くに位置するウジホロドからクピャンスクまで約20時間かけて車で物資を運んでいるといいます。
活動を続けるユリー牧師に話を聞くことができました。
支援物資を届ける ユリー牧師(57):
「郊外に住んでいる人たちにもウクライナ軍がつくってくれた橋で川を越えて届けています。奪還後初めてクピャンスクに行った時は銃撃を受けないようにどこに行って、どう隠れるかをとにかく考えたんだ。壊された町を見た時に感じたことは言葉にできません」
ユリーさんの教会はミサイルが落とされ、かつての姿は想像もつかないほどに…。
ユリー牧師:
「多くの人は建物の地下で避難生活を送っていて、支援物資を届ける車が到着すると、みんな地下から出てくるんだ。最近は寒くなってきたから、風邪薬とかが必要になってきたよ」
電気やガスがないため、これからやってくる寒波をしのぐための日用品も今後運ぶ予定だといいます。
命の危険を顧みず、クピャンスクの住人を支えるユリー牧師。
両親を助けてくれたユリー牧師を日本から支える手立てはないのか。オレーナさんは日本の友人と共に支援物資を買うための寄付を募るサイトを立ち上げました。(サイトはこちら)
ユリー牧師:
「ウクライナ政府はがれきの撤去などをしてくれています。しかし2~3日に1回ミサイルが飛んでくるので、まだ復旧は難しいと思います」
奪還後も続くロシア軍の攻撃。町の平和を取り戻すまでユリーさんの活動は続きます。