MGCから東京五輪へ…女子マラソン鈴木亜由子に求められた“心身の土台” 支える高橋監督が大会前不在に

東海テレビ
10.01(木)16:06

 東京五輪女子マラソン日本代表の鈴木亜由子選手(日本郵政G陸上部)。

 指導する高橋昌彦監督の強化計画の下、マラソンランナーとして成長してきた鈴木選手。あらためて、彼女がどんな思いで東京五輪を目指してきたのかを振り返ると共に想定外の物語の続きを連載企画でお送りする

<4>「心身の土台」とは

 2019年の夏、酷暑の東京で開催されることになるマラソン日本代表の選考会MGC。

 高橋は兼ねてより、初マラソンの北海道は予選、MGCは準決勝、東京五輪が決勝と言い続けてきた。その準決勝で2位以内に入れば決勝戦に進出できるのだ。

 育成プラン「2020TOKYO鈴木亜由子強化計画」。

 目標には「MGCで優勝し東京五輪代表」と記されていた。その為には「マラソン選手としての心身の土台を作る」ことをテーマに掲げた。

鈴木選手:
「初マラソンは、自分自身との勝負で、いつ脚と心に限界が来てもおかしく無い耐久レースでした」

 2018年の夏、北海道で初マラソン初優勝を飾り、予選を突破した。ゴールタイム2時間28分32秒は、大会史上歴代8位の記録。

 夏に初の実戦42.195kmを完走し、MGC出場権を獲得したことを考えれば上出来の内容だ。

 だが、次に向かう為には心身の土台の強化は必要だった。

 2019年2月、初マラソンよりも早いペースでラップを刻むことをテーマに丸亀ハーフマラソンに出場する。結果は1時間7分55秒のハーフ日本歴代3位(当時)。

 MGCに向け順調なスタートを切った。

 5km16分前半のラップを刻み続けた点を試合後、高橋も評価していた。

■ 監督がいない

 2019年4月、小出義雄監督がこの世を旅立った。祭壇は、思い出の地ボルダーの山々がかたどられていた。「東京五輪までは頑張りたい」。その思いは叶わなかった…。

 その3週間後のことだった。鈴木の様子がいつもと違う。

 マラソンに向けた調整の一環として、日本選手権1万mにエントリーしていた試合前。いつもなら集中の為、周囲との接触をさけるのだが、この日は自ら家族の元に歩み寄ってきた。

鈴木選手:
「ちょっと待って…」

 会話を終え立ち去ろうとした父を呼び止めた。その後、しばらく話が続いた。

父・伸幸さん:
「大丈夫かな…。『レースでどう走ればいいか?』って聞いてきたよ。監督と話はしてないの?って言ったら『きょう監督来てない』って言ってたから。直前は監督のアドバイスが欲しいんじゃないかな」

 この日は鈴木にとっては調整の一環だったが、出場するからにはテーマを持って走りたかった。しかし、高橋の姿は会場になかった…。

高橋監督:
「小出監督の分も自分が、と張り切りすぎていたのかもしれません」

 過労で体調を崩し、一定期間の休養を余儀なくされていたのだった。

 小出義雄監督と出会い、陸上の指導者を志した瞬間から、偉大過ぎるその背中を追いかけ、壁にぶつかり、倒れては立ち上がりを繰り返してきた。

 そして、大事なMGCの前だというのに、高橋は再び倒れてしまった。

■ 明日への試練

 1995年、ボルダーの高橋夫婦が営むアスリート用の合宿所をリクルートランニングクラブが利用した。そこには、翌年のアトランタ五輪を目指す有森裕子選手、新人だった高橋尚子選手の姿もあった。

 未来への希望に満ちた選手達。冗談を言って選手たちを笑顔にする監督。高橋にはその全てが輝いて見えた。

 車の運転をしたり、コーチ補佐として小出監督について回った。妻の陽子さんは、子供をおんぶしながら選手たちの食事を作った。

高橋監督:
「かっこよく言えばボルダー在住のフリーランスコーチ」と高橋は言うが、現実は厳しかった。

 時短と節約の為、自分たちの食事は簡単に済ませていた。チームが去った秋には家族全員が体調を崩し、寝込んでいた。

 冬には客もなく収入も無い。日本に戻り、陽子さんの実家の日本人形作りを手伝った。

 またアメリカで売れそうな人形をコンテナで輸出し、アメリカ各地を車でまわり、売り歩いた。食べて行く為だった。

 それでも「あの時は、家族一緒で楽しかったですね」と高橋は当時を振り返る。

「大学時代に箱根駅伝のメンバーにもなれなかった自分が、陸上の指導者になんてなれるはずがない」と考えていた自分にチャンスをくれた小出監督。

 監督を務める事になった後も、心の支えは小出監督と高橋尚子選手に連れて行ったもらった五輪の輝き。

「いつか自分も選手と一緒に絶対にこの舞台に立ちたい」という初心…。だが、その指導者人生は、想定外の事態の連続だった。

 時代のせいか、所属先の陸上部は相次いで廃部になった。

 愛弟子の大南姉妹に次の所属先を見つける為、日夜問わず駆けずり回った。挙げ句の果てに、無理がたたって甲状腺の病を患った。

 その後、大南姉妹は出身地の福井の企業がスポンサーをかって出てくれた。

 自身は、職業安定所に行って担当者に「どんな仕事をお探しですか?」と聞かれ、正直に「ここに募集案内はないと思いますが、陸上競技の指導者をやりたい」と伝えたが、勿論「そんな仕事はありません…」と断られた。

 そんな折、2011年の春から、東京電力の男子陸上部監督を任せてもらえるにことになった。だが、就任前の3月11日、日本は大震災に見舞われる。

 新たなスタートを切るはずだったが、一転陸上部は即時休部。在籍期間はわずか1年のみ。それも残務処理をする為の時間だった。

高橋監督:
「東電との契約後は、もう陸上界には戻れない。この先は何しようかって妻に話をしていました」

 積み上げてきたことが崩れたとき…。

 何か自分が出来る事を始めたいと思い、監督時代を過ごし、知り合いも多かった名古屋で市民ランナーにランニングを教え始めた。差したる収入には繋がらならなかったが、心底楽しかった。

 そんなある日、2012年11月1日の結婚記念日に高橋の携帯が鳴った。

 それは、トライアスロン選手時代の先輩で、トライアスロンのナショナルチーム監督である飯島健二郎からの電話だった。受話器の向こう側で飯島は高橋に言った。

「ある企業が、女子陸上部を立ち上げる予定で、指導者を探している」

 消えかけた道が繋がった瞬間だった。

<5>へ続く


<1>高橋昌彦監督との出会い「マラソンは我慢スポーツ」
<2>絶対に、この舞台に再び立ちたい
<3>「俺は金メダルをとりたいんだ!
<5>計画通りには行かない






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