
昭和東南海地震 最近の南海トラフでの地震を知ろう【暮らしの防災】

南海トラフ地震と言うと、「いつ発生するのか?」「向こう30年間の発生確率は何%」と考えがちです。しかし、過去の南海トラフを震源とした地震で「どんな被害があったのか」を知ることも、対策を考えるうえで大切です。1944年(昭和19年)12月7日に「昭和東南海地震」が発生しています。2年後の1946年12月21日には「昭和南海地震」が起きています(連動地震とされています)。この昭和東南海地震についておさらいします。(写真や図版などは、津地方気象台のHPより引用)
大津波が三重県沿岸などに

震源は熊野沖です。津波が紀伊半島から伊豆半島の沿岸を襲い、高さは、尾鷲で8~10m、伊勢湾及び三河湾内で0.5~2m、遠州灘沿岸で1~2m、下田市で2.5mでした。街が津波であらわれ、建物が破壊され漁船が打ちあげられました。
筆者は、東日本大震災の時、系列応援で宮城・岩手で被災地を歩いてショックを受けました。名古屋に帰ってきたあと、三重県のリアス海岸にある街を回りました。そこは、すべて瓦礫の山として私の目に映りました。「何とか対策を進めないと」と焦りました。今も焦っています。
激しい揺れで建物が倒壊

1944年昭和東南海地震の震度分布図(気象庁,1968より作成)です。限られた震度観測結果を参照して、等震度線を引いたものです(当時、震度計はなく、気象台職員などの体感で震度を決めていた)。
図は当時の震度階級で表現しており、震度6は現在の震度6弱以上に相当します。
戦争に隠された地震

昭和東南海地震は戦時中に発生したため、政府は「国がダメージを受けたことをアメリカに知られると、戦況に悪影響を与える」として、大地震・大津波があったことを隠すことにしました。
当時、国による被害調査も行われませんでした。また国民にも箝口令が敷かれました。このため、「隠された地震」となりました。研究者による調査や、その後に行われた国の調査で、被害の状況が明らかになってきています。
データ

【発生】1944年12月7日 13時35分40秒
【震央】熊野灘沖
【震源の深さ】40 km
【規模】マグニチュード7.9
【震度】震度7相当 愛知・西尾市 静岡・菊川市など ※現在の震度階級に換算
【津波】9m(尾鷲市)
【種類】海溝型地震 逆断層型
【死者】1223人(津波の被害者が多い)
愛知県(438人)・三重県(406人)・静岡県(295人)・和歌山県(51人)・岐阜県(16人)・大阪府(14人)・奈良県(3人)
※災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月 1944 東南海地震・1945 三河地震による
<地域のお年寄りから話を聞こう>
昭和東南海地震の発生は1944年(昭和19年)です。みなさんの近くに体験した方が、いらっしゃるかも知れません。国の箝口令で「話してはいけないこと」と思っている方もいらっしゃるかも知れません。チャンスをみて話をしてみてください。貴重な体験談を聞けるかもしれません。
<高台移転・高い場所への避難 耐震対策を>
このコラムでは、これまで何回も南海トラフ巨大地震について紹介し、みなさんに対策を進めるようアドバイスをしてきました。昭和東南海地震での被害記録は、みなさんがお住まいの場所のリスクを再認識させてくれるものです。是非、対策を行って下さい。
備考:「津地方気象台+昭和東南海地震」で検索すると、今回紹介した資料などをもっと詳しくみることができます。
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被災地取材やNPO研究員の立場などから学んだ防災の知識や知恵を、コラム形式でつづります。
■五十嵐 信裕
東京都出身。1990年メ~テレ入社、東日本大震災では被災地でANN現地デスクを経験。報道局防災担当部長や防災特番『池上彰と考える!巨大自然災害から命を守れ』プロデューサーなどを経て、現ニュースデスク。防災関係のNPOの特別研究員や愛知県防災減災カレッジのメディア講座講師も務め、防災・減災報道のあり方について取材と発信を続ける。日本災害情報学会・会員 防災士。





