
「夢が叶った試合」 強制収容所の跡地に野球場を再建 戦後80年目のプレイボール 日系人10万人超が収容された歴史を語り継ぐ

戦時中のアメリカで10万人を超える日系人が、強制収容されたことをご存じでしょうか。その収容所跡地に野球場が作られ先日、試合が行われました。歴史を語り継ぐ戦後80年のプレーボールです。
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秋の名古屋を彩る恒例行事「名古屋まつり」。そのパレードに、ひときわ目立つドレスをまとった女性たちが。
彼女たちは、名古屋市の姉妹都市、アメリカ・ロサンゼルスの「日系アメリカ人」。その中でも2025年の「クイーン」に選ばれたのが、日系人のキミ・ルックさん25歳。
(キミ・ルックさん)
「日系人や姉妹都市を代表して名古屋に来られるのは光栄です」
「祖父は強制収容所で医師をしていた」
キミさんは、現役の医師でもあります。
医学の道を志した思いは、80年前の「あの戦争」とつながっていました。
(キミさん)
「私の祖父は“マンザナー強制収容所”で医師をしていました。当時は設備が乏しく、レントゲンの現像も自分で行っていたそうです」
祖父は第二次世界大戦中、日系人の強制収容所で医師を務め、終戦までの数年間、差別や苦しい生活と向き合いました。
太平洋戦争中、日本にルーツがあるというだけで、強制収容所に入れられた11万人を超える日系人。戦後80年を経て、彼らの思いを伝える取り組みがあります。
財産は“実質没収” 夏は灼熱 冬は氷点下
ロサンゼルスから北へ約300キロ。山々の麓に広がる荒野に、マンザナー強制収容所の跡地はあります。
(矢野司記者)
「私はいま第2次世界大戦中、日系人1万人以上が収容された、マンザナー強制収容所の跡地に来ています。11月で風はとても涼しいんですが、日差しが肌を刺すように照りつけ、痛みを感じます」
ここには1万人以上の日系人が潜在的な危険として強制収容され、財産は実質没収、粗末なバラック建ての家で夏は灼熱の砂嵐、冬は氷点下の中、過酷な生活を強いられました。
もう一度 日系人による“ベースボール”を しかし…
そんな中、人々の心の拠り所だったのが、「ベースボール」。野球でした。マンザナーだけで100以上のチームが作られ、頻繁に試合をしていた記録が残っています。
(ダン・クワンさん)
「強制収容所で人々は『おまえは本当のアメリカ人じゃない』『アメリカ人の顔ではないからだ』と言われてきたんです」
荒れ地にベースを埋め込んでいたのは、アーティストのダン・クワンさん70歳。
母親のモモさんが戦時中マンザナーに収容されていました。戦後80年の今年、もう一度ここで、日系人によるベースボールを。そのために、グラウンドを再建したのです。
(レーガン大統領・当時 1988年8月)
「日系アメリカ人の強制収容は過ちだったと認識しなければなりません」
戦後40年余り経って、アメリカ政府は正式に当時の強制収用を間違いだったと認め、謝罪と補償を行いましたが、ダンさんは複雑な思いを抱いています。
(ダンさん)
「補償の金はどうでもいい。『自分たちが間違っていた』という政府の謝罪こそ大事なんだ」
2年の歳月をかけて野球場は再建。盛大に野球大会を行う予定でしたが…
ダンさんが用意したユニフォームやベース…
(トランプ大統領 ことし9月)
「政府閉鎖の間に人員削減など、民主党にとって好ましくないことも実行できる」
トランプ政権と野党の対立で予算が成立せず政府機関の一部が閉鎖。マンザナーの収容所跡地も国の施設のため、大会は延期に。
ダンさんの自宅を訪ねると…
(ダンさん)
「大会で着るはずだったユニフォームです。私が1つずつアイロンがけしたんですが…キャンセルです。しまうために袋詰めします」
当時を再現したユニフォームには一人ひとりのネームタグ。昔ながらのベース。すべてダンさんが準備してきました。
(ダンさん)
「ベースボールは収容された人々にとって“普通の生活”を感じられる唯一の時でした。自分たちがアメリカ国民であるという自覚が芽生えるんです」
大会は練習試合に変更 試合の名前は「ガマン」
日の出前、車に野球道具を積み込んで家を出たダンさん。
大会は中止ですが、練習試合はすることにしました。節目の今年、語り継ぐためにもベースボールは何としてもやりたい。そんな思いが…
(ダンさん)
Q.今日の練習試合に名前をつけるなら?
「(日本語で)ガマン」
「グラウンド上で『歴史の悲しみ』と『野球ができる喜び』が混ざり合う。選手にとっては、とても特別な体験になるはずです」
片道4時間かけて到着。早速キャッチボールが始まります。
そして、プレーボール。
“夢が叶った試合” 戦後80年目のプレーボール
熱のこもったプレー。集まった日系人みんなの思いは…
(アルヴィン・ヤノさん(51))
「『夢がかなった試合』かな。たとえ戦時中でも野球は、人々の心を1つにしたんです」
(ローガン・モリタさん(24))
「『追悼の試合』です。親戚のジム・モリタは99歳で収容中にピッチャーをしていたんです」
24歳のローガンさんの親戚、ジム・モリタさんは99歳。戦時中マンザナーでプレーしていた、最後の生存者といわれています。
(モリタさん)
「(マンザナーは)家族の歴史であり、光の当たらなかったアメリカの歴史です」
大谷選手たちの活躍は「勇気づけられる」
強制収容の中、日系人の救いだったベースボール。
戦後80年が経ち、アメリカではいま日本人が目覚ましい活躍を見せています。地元の日系人には特別な思いが…
(ドジャースショップを営む ルミ・フジモトさん)
「過去の日系人が受けたつらい経験に、今こそ目を向けるべきです。そのためにベースボールは完璧な舞台なんです。佐々木朗希・山本由伸は大谷翔平に並ぶほどアメイジング。日系人コミュニティーがこれほど勇気づけられることはありません」
(ダンさん)
「マンザナーは『国家は間違える』ことと『過ちを繰り返してはいけないこと』を教えてくれます」
Q.80年前の選手たちに伝えたいことは?
「『心から尊敬しています。私たちに与えてくれた希望を引き継いでいきます』と伝えたいです」
アメリカの日系人にも暗い影を落とした戦争。収容所跡に復活した野球場はその不条理と闘った人々の歴史を今に伝えています。
CBCテレビ「newsX(ニュースクロス)」 2025年11月12日放送より





