武田信玄が残した隠し財産? 設楽町の山奥に潜む洞窟を調査 お宝発見なるか
愛知県東部、奥三河に位置する設楽町は、町の約9割が山林を占める山間の町。その山奥には「隠し財産」という何ともロマンあふれるウワサが、まことしやかにささやかれています。
設楽町の山奥に眠る「隠し財産」とはいったい何か? ウワサの真相をたしかめるべく、山の中を調査しました。
武田信玄が発見! 超巨大金山の遺構
町民の案内でやってきたのは、設楽町のとある山の一角。道なき道を登っていくと、山の至る所に巨大な建造物を発見します。
コンクリート製の巨大な建造物の数々は、まるで遺跡のような雰囲気。近くには洞窟の入口や、荷物の上げ下ろしに使われていたと思しき設備など、町の人たちから聞いた情報と一致します。
山の所有者によると、これらの遺構は「金の採掘」をしていたときに使われていたものとのこと。設楽町の一部である旧津具村には、かつて「津具金山」と呼ばれる巨大な金鉱山があり、最盛期には年間1万2000トンもの金を採掘していたそうです。
9500メートルという坑道の総延長距離が、その巨大さを表しています。
佐渡金山よりも古く、約450年前に武田信玄が見いだした歴史を持つ津具金山。武田信玄の金掘衆が掘った金鉱山の入口は「信玄坑」と名付けられ、今も地元の人たちによって厳重に保存されています。
かつての津具金山跡に潜入調査
68年前に閉山した津具金山ですが、今でも一部は入れる場所が残っているとのこと。そこで今回、山の所有者から特別な許可を得て、洞窟探検家・吉田勝次さんとともに、津具金山の坑道内を調査します。(※吉田勝次さんの「吉」は土に口)
人ひとりがようやく通れるかどうかという狭い入口を抜けると、少し開けた場所を発見。しかし、その両側は行き止まりになっており、先に進めません。
すると吉田さんが、坑内でひとつの鉱石を見つけました。手にしてみるとずっしりと重さを感じ、光を当てるとわずかにキラキラと光ります。
金は金属の中でも重いため、重い石には金が含まれている可能性があるとのこと。そこで所有者の了承の下、発見した鉱石を持ち帰って詳しく調査することにしました。
持ち帰った鉱石を砂状になるまで砕き、丁寧に水洗いしながら探すこと6時間。残念ながら今回採取した鉱石に金は含まれていませんでした。
武田信玄時代の精錬場跡へ
津具金山があった設楽町には、武田信玄が金を抽出するために作らせた精錬場もあったとのこと。精錬場があったといわれる場所では、金鉱石をすり潰して粒状にする「金摺臼(かなすりうす)」も発見されており、貴重な歴史的証拠となっています。
そこで土地の所有者の許可を得て、吉田さんとともに金属探知機で一帯を調査。強い反応が出た地点を重機で掘ると、1枚の古銭を発見します。
詳しく調査すると、この古銭は江戸時代のお寺が発行していた古銭「信濃国善光寺『福寶』」と判明しました。武田信玄の時代の代物ではなかったものの、貴重なお宝の発見に俄然士気が高まります。
今度は金属探知機が反応する巨大な石を発掘! 愛知工業大学工学部の松井良介教授の協力を得て分析を行った結果、金属探知機に反応していたのは石の表面に付着した酸化鉄でした。
今回の調査では残念ながら金は発見できませんでしたが、設楽町に戦国時代より続く歴史ロマンがたしかに息づいていました。