
何度も大きな揺れと津波の被害に… 南海トラフ巨大地震の爪痕 無くなってしまった集落と津波から逃れた“一艘”の舟

将来「必ずやってくる」南海トラフ巨大地震では、私たちが住む東海地方など太平洋側の広い範囲で、深刻な被害が出ることが懸念されています。愛知県豊橋市には、過去の南海トラフ巨大地震でどんな被害があったのかを今に伝えるものが数多く残っています。
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豊橋市民の憩いの場、豊橋公園の吉田城。1954年に再建された「鉄櫓(くろがねやぐら)」がシンボルです。
(佐藤楠大アナ)
「石垣の一部に丸い印のようなものがあります。ここにもありました…四角い印が二重になって石に刻まれています」
これは「石垣刻印」と呼ばれる築城にかかわった大名や家臣の家紋、石を積んだ職人の印で、およそ60個の刻印が確認されています。そんな歴史のある吉田城と災害との関係を名古屋大学減災連携研究センターの羽田野拓己特任助教にうかがいました。
(名古屋大学減災連携研究センター・羽田野拓己特任助教)
「過去にあった南海トラフ巨大地震の一つで、1707年の宝永地震、この吉田城の鉄櫓や本丸御殿など多くの建物が大破したと伝えられている」
今後40年の間に90%もの高い確率で発生すると考えられている「南海トラフ巨大地震」。
歴史上100年から150年ほどの間隔で繰り返し発生し、そのうち、江戸時代中期の1707年に起きた「宝永地震」では、吉田城は石垣は持ちこたえたものの、鉄櫓や本丸御殿など倒壊したと伝えられています。
実は豊橋市には宝永地震だけでなく、その後の南海トラフ巨大地震でも被害があったことを今に伝えるものが数多く残っているのです。
豊橋市内でも震度7クラスの揺れ
(佐藤アナ)
「吉田城から600メートルほど離れた龍拈寺(りゅうねんじ)に来ました。慰霊碑や石碑などがずらっと並んでいますね」
(羽田野特任助教)
「一番最近起きた、南海トラフ巨大地震の一つ1944年の昭和東南海地震で亡くなられた豊橋市の女学生27名を悼む観音像となっております」
発生から約80年が経った、1944年の「昭和東南海地震」。
三重県南部で津波による大きな被害が出たほか、豊橋市内でも震度7クラスの揺れがあったと考えられ、愛知県内では三河地方を中心に、6411棟の住宅家屋の全壊などの被害があり、438名が亡くなりました。
この観音像は、この時犠牲になった女学生27人を追悼するために建てられました。豊橋市がかつて、南海トラフ巨大地震で被害を受けたことを今に伝える場所はほかにも。
龍拈寺から車で移動すること40分。やって来たのは、太平洋を望む伊古部(いこべ)海岸。
何度も大きな揺れと津波の被害に…隆起した崖
(佐藤アナ)
「この海岸、夏はサーフィンをする方々などで賑わうということなんですが、すごく高い崖が海のすぐそばにあって、ズラーっと奥までその崖が続いていますね」
(羽田野特任助教授)
「幾度となく地震を繰り返しながら地面が上昇して作られたもの」
今から「2回前」に起きた南海トラフ巨大地震、幕末の1854年に起こった「安政東海地震」で、この伊古部海岸周辺は大きな揺れと津波の被害に遭いました。
上空から見てみると…
過去何度も発生した地震で隆起した切り立った崖が、約10キロにわたって続いていることがわかります。そして、気になることが…
(佐藤アナ)「周りに建物とかは全くないですね。人が住んでいる様子などがない」
(羽田野特任助教授)「大昔は町の集落が存在していたが、大きな津波によってすべて流されてしまって、だんだんと集落が市街地の方に押し戻された」
安政東海地震による津波の凄まじさを物語るものが、近くの御厨神社(みくりやじんじゃ)に残されています。
津波で“一艘だけ”助かった舟
(御厨神社・鈴木賢一郎宮司)
「これが当社に掲げられた絵馬でして、(津波で)一艘だけ(松の木に)引っかかった舟があったということで、上がった時の舟板に描いて、お宮が再建されたときに奉納した絵馬です」
1707年の宝永地震でも被害を受けて移転したというこの御厨神社。1854年の安政東海地震の時にも海岸近くにありましたが、津波の被害を受け、地震から13年後の1867年に内陸側に再建されました。この絵馬は安政東海地震の時、津波で一艘だけ舟が助かったことに感謝した舟の持ち主が、助かった舟の部材で絵馬を作って奉納したものです。
(鈴木宮司)「隣の村は土地ごと流されて、沖に島ができたり、岩が隆起したり、そんなことも伝わっています」
過去何度も起きた南海トラフ巨大地震の折々の被害を今に伝えるものが、数多く残されている豊橋市。では豊橋市はそれを市民の啓発にどのように生かしているのでしょうか。
(豊橋市防災危機管理課・齊藤昇課長補佐)
「豊橋市で作成を委託して作った『東三河地域における津波の歴史』。過去の津波の浸水、津波の歴史を伝える史跡」
では、実際の防災対策はどうなのか?29年前に起きた「阪神・淡路大震災」や、2024年の元日に起きた「能登半島地震」で、多くの人の命を奪った「家屋の倒壊」。豊橋市では20年ほど前から、「建物の耐震化」の促進に力を入れているといいます。
(豊橋市建築物安全推進課・中神秀和課長補佐)
「(豊橋市の)耐震化率は90%を超えている。木造住宅に関して旧耐震のものであれば無料相談が受けられるようになっています」
豊橋市では木造住宅の耐震化の無料相談だけでなく、工事費の80%を補助する制度を作っています。
今も残る南海トラフ巨大地震の爪痕
強い揺れによる「建物の倒壊」と「建物密集地での火災」。そして「津波」の被害。
2024年元日に起きた能登半島地震は、南海トラフ巨大地震が起きた時に、私たちが直面する「課題」をまざまざと見せつけました。「必ず来る」その時に備えて、豊橋市のあちこちで残っているように、過去の南海トラフ巨大地震の被害を伝えるものを、私たちはどのように生かしていけばいいのでしょうか?
(佐藤アナ)
「被害の跡が今もなお残っていることに対して、専門家としてどのような意味があると思いますか?」
(羽田野特任助教)
「実際にこの場所でこういう被害があったというのを知る手がかりとして非常に大切なもので、これをしっかりと伝えていかなければならない。どのような災害が来るかを知ることと、あとは必ずいつかやってくる地震のために、自分の命をどう守るかということを考えていただくことがいいと思います」