
「大好きだった」 その言葉を残して戦争へ 終戦のとき20歳だった若者は現在100歳 「好きな人は?食べ物は?」 今の20歳と戦禍の20歳に聞いてみた【戦後80年】

終戦から80年のことし。当時20歳だった若者は、ちょうど今100歳を迎えています。
彼らは20歳の時、どのような思いで日々を暮らし苦難の時代を生き抜いたのか。東海地方で暮らす100歳に当時の思いを聞きました。
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そして、今の20歳にも同じ問いを投げかけました。
戦争の時代を生きた20歳と今の20歳。80年の時を超えた、それぞれの思いに耳を傾けます。
「キャラメル1個買うのが精一杯」
【小林古壽さん・100歳(三重・津市)】
20歳の時は学徒動員で武器をつくる工場に。その後、志願して兵隊となり出兵の時を待っていました。
Q.20歳の時、好きだった食べ物は?
「その頃は卵のご飯がごちそう。卵がふんだんにはないが手に入った」
庭先で飼っていたニワトリが産んでくれる卵がごちそうでした。
【林静子さん・100歳(愛知・一宮市)】
戦後まもなく自分で始めた美容院は、孫が引き継ぎ今も営業中。
20歳のときは住み込みで美容師修行に明け暮れていました。
「キャラメル1個。昔は10銭か1銭だったか忘れたけど、キャラメル1個買うのが、先生に隠れて買いに行くのが精いっぱい。食べるもんがないで」
こっそり食べていた甘いキャラメル。それ以来、今でもずっと大好物です。
【川口菊義さん・100歳(愛知・一宮市)】
20歳の時は静岡の軍需工場で戦闘機を製造。その後60歳まで、妻と二人三脚で八百屋さんを切り盛りしてきました。
「本当に何にもなかった。おふくろが作ってくれる食事が…お好み焼きみたいなもの作ってくれて、ちょっとたまりじょうゆで味を付けて、おかず兼おやつだね」
好きだったのはお母さんの料理。
80年の時が経っても変わらないもの
ー今の20歳は?ー
「ラーメン・焼き肉・すし」
「唐揚げです」
「めんたいこスパゲッティ山盛り。おなかいっぱいに食べたい」
だけど、時が経っても変わらない思いがありました。
(20歳)
「お母さんが作ってくれるサンドイッチ」
「お母さんの作ったハンバーグや手作りギョーザ」
「お母さんのごはん。仕事が夜なのでお母さんのごはんを食べる機会が減っちゃって、家でお母さんのごはんを食べられる時はうれしい。みんなで食卓を囲んで食べるのが楽しい」
20歳の時 何が欲しかった?
Q.今、欲しいものは?
(20歳)
「やっぱりコスメ。デパコスとか」
「物欲はありますけど『今これが欲しい』というものはない」
「車が欲しいです。BMWじゃなくてベンツとかがいいかな」
-80年前の20歳に聞くと-
Q.欲しかったものは?
(川口さん・100歳)
「衣類が欲しかったなぁ。シャツやズボンが、そう簡単に買えなかった」
終戦後、軍需工場から戻った川口さん。実家の商店を開いても、売る物はろくにありませんでした。
(川口さん・100歳)
「食べる物で命がけ。衣類はあとまわし。商売に命がけだった」
20歳の時 誰を尊敬していた?
Q.尊敬していた人は?
(林さん・100歳)
「私の父親はね、尊敬しとったよ。全部焼け野原だったから山へ行って、お金があるだけ材料を買って、この辺のバラックは全部父親が建てた」
二度にわたる空襲で、林さんの住んでいた一宮市は壊滅的な被害を受けました。
いち早く町の復興に尽力した、大工職人のお父さん。その姿が林さんの誇り。
(小林さん・100歳)
「両親やな、両親がよくやってくれた。自分は食べなくても子どもに食べさせる。
母親にも父親にもあった。自分たちは麦ご飯を食べていても、僕には白いご飯を食べさせてくれた。お父ちゃんが長生きしとるのは、お母さんが食べ物を考えてくれたから」
100歳まで生きてこられたのは、お母さんのおかげ。
ー今の20歳は?ー
「お母さんのこと尊敬していて、家事とか仕事とか当たり前の事だけど、それを絶対こなしていくところ」
「両親ですかね。いつも支えてくれているというか、私が何を言っても優しくいてくれる」
「両親ですね。自分が少し精神的に病んだ時期があって、その時も見放さずに献身的にサポートしてくれた。一番感謝しています」
20歳の時 好きな人はいた?
Q.好きな人はいますか?
「います!同級生です」
「いないです。そんなに無理してつくるようなものでもない」
「好きな人はいます。前のバイトで出会った人で」
ー80年前の20歳は?ー
Q.20歳の時、好きな人はいましたか?
(林さん・100歳)
「そんなものいないて。そんなこと言ったら町内の笑われ者。外でちょっとでも男性としゃべっていたら、『ちょっといらっしゃい』って呼ばれて、どえらい叱られる」
(小林さん・100歳)
「男女関係の話は全然なかった。20歳ごろの青春なんてなかった、今の子のような。だから楽しいだろうなと思う。恋愛して人生を謳歌している、青春を謳歌している。われわれは青春は謳歌できなかった」
青春がはばかられたあの時代。だけど…
「大好きだった」その言葉を残して戦争へ
(林さん・100歳)
「向かいの家の“まぁちゃん”という男の子。兵隊に送り出す時、汽車に乗る前に、そばにすっと来て、『大好きだった』それだけ言ってくれた。それでもピンとこない。『あぁそう』って言っておしまい。いってらっしゃい」
その彼は、戦地から戻ることはありませんでした。
Q.今の20歳に伝えたいことは?
(林さん・100歳)
「自分で一銭でも、もうけることを考えなあかん。20歳で決めてから何十年、美容師ばっかやで。それを続けて今では3代目がやっとるでね。偉そうに言うけど本当に、そうやって進んできた。自分は満足で100歳までこられた」
(川口さん・100歳)
「とにかく、かわいがってもらうこと。それが大事だと言いたい。『ありがとう』は大きな声で言ったもんです」
(小林さん・100歳)
「社会でいろんなことがあるけど、ビシッと自分の考え方を持つこと。僕は鉄砲撃ったりはしなかったが、死ぬことがなんか憧れのように洗脳されとったな。ああいう境遇に入ったら、そういう気持ちに洗脳される。特攻隊に行ったのは、そういう感じ。『人間』であるっていうこと。その根性を持たないといけない」
CBCテレビ「チャント!」2025年8月15日放送より