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あの人はどこで戦死したのか 遺族がたどる戦争の“記録” 遠い存在だった戦争を自分事に【戦後80年】

CBCテレビ
08.16(土)16:02

そこには、家族の記録が残されているかもしれない。ここは愛知県公文書館。保管されているのは、旧日本陸軍の兵士に関する書類。兵籍簿に、軍歴証明、さらには戦没者資料。家族であれば閲覧可能で、太平洋戦争中、どんな階級で、何をしていたのか、そして、どこで戦死したのかが記されている。

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岐阜県出身で、現在、栃木県に住む角田梨紗さん37歳。学生時代、戦争について研究していた角田さんは、戦後長い歳月がたち、もう証言が聞けなくなるという思いから祖父とその弟の軍での記録を取り寄せた。

「現役兵として中部第13部隊に入隊。同日安藤隊に編入。17日山海関通過。この「山海関」が最初見たとき分からなくて調べたら、北朝鮮と中国の国境の関所」

祖父の巌さんが昭和19年9月3日に入隊し、昭和21年5月12日に除隊になるまでの軍歴には、馴染みのない地名が。

(角田梨紗さん)
「山海関が出てその次に漢口。漢口から次の教育を受けた当陽。210時間、10日近く。列車も乗れたのかな、だけど徒歩が多かったと思う」

浮かび上がってくる、戦地での祖父の足跡。巌さんは後方支援として武器や食料を運ぶ「輜重兵(しちょうへい)」だった。

祖父の弟は空襲で亡くなったのではなく…

一方、「空襲で亡くなった」と聞かされていた祖父の弟、尋司さんの記録には違う事実が。

「戦争栄養失調症ニヨリ戦病死ス」

(角田梨紗さん)
 「あ、病気のほうで死んだんだと。どっちかの情報が間違っていたのか、真意は分からない。死亡した日付はあるけど、時間は空欄になっていて、朝起きたら目を覚まさなかった、そんなケースもある。誰にも看取られず一人で。19歳で一番 力のある青年が、痩せこけて目も当てられない姿で亡くなったと想像すると、そういう状況を強いた80年前の戦争が、二度とあってはならないと改めてそう思わされました」

角田さんは戦後80年のこの夏、小学2年生と3年生の息子にもこの記録を見せることにした。

(角田さん)「読めるところあると思うよ。昭和19年9月3日、現役兵として中部第十三部隊に入隊」
(息子の直人さん 9歳)「『戦争はやらない』と分かった」
(角田さん)「なんでやりたくない?」
(直人さん)「危ないから」
(角田さん)「恵人は?」
(息子の恵人さん 7歳)「仲間を失うといやだから」

(角田さん)
「ちょっと今は難しくても、また次に語ったら そのとき感じる何かがあるかもしれない。根気強く触れさせていこうと思います」

「家族の記録」を取り寄せ 若者たちに紹介

愛知県の小澤美由紀さんも「家族の記録」を取り寄せたひとり。

(小澤美由紀さん)
「こちらが祖父の証明、これが大叔父のほうです 」

祖父 禎さんと、その弟で戦死した等さんの記録。

小澤さんはそれを、名古屋・名東区にある「戦争と平和の資料館 ピースあいち」で紹介している。

(小澤さん) 「自分の話になるんですけど。この写真は私の大叔父、おじいちゃんの弟が16歳で兵隊に志願して、17歳で1年も経たずに、トラック島というところで亡くなっています」
(小澤さん) 「トラック島って聞いたことありますか?」
(来館した高校生)「ないです」
(小澤さん)「ですよね。私も自分の身内の話を調べるまで聞いたこともなかった
し、どこにあるかも知らなかった」

日本海軍にとって南洋の最重要拠点だった現在のミクロネシア連邦のトラック諸島では、1944年2月17日と18日、アメリカ軍による大規模な空襲が行われた。

旧海軍の記録は厚生労働省が管理していて、小澤さんが取り寄せた記録には細かい記載が。

「巡洋艦『阿賀野』の乗組として勤務中のところ潜水艦の雷撃を受け、護衛の駆逐艦『追風』に収容されトラック諸島に向け帰投中、午前7時40分魚雷により、『追風』沈没の際に戦死されております」

(小澤さん)
「生き残った人が書き残すとか伝えてくれたから、ここまでの記録が残っている。記録が残っているだけですごいこと」

記録を調べたきっかけは、実家の建て替えの際に見つかった、祖父 禎さんの遺品だった。

(小澤さん)
「私の祖父は『落下傘部隊』と言ってパラシュートを身に付けて、南方をぐるっと回る部隊にいたので、そのパラシュートが出てきた。捨ててしまうわけにもいかないし、資料館に納めさせてもらおうと思ったら『おじいさまがどこの部隊に所属していたのか教えてください』と言われ、調べ始めたことがきっかけ」

祖父と戦死した弟とのやり取りが遺品から…

戦地から帰ってきた祖父は、戦死した弟の等さんのことはほとんど語らなかったが、遺品からは、葬儀の際の弔辞が見つかった。

(小澤さん)
「『ヤガテ御召シノ日ヲ待チテ、ご奉公ノ誠ヲ致サバ、臣節必ズ全ウシ得ベシ』と書いてあって、『兄やんが(戦争に)行ったんだからお前まで行かんでいい』と(等さんの父は)引き留めようとしたんですけれど。『波高キ太平洋ノ運命 一ツニカカリテ我等若人ノ双肩ニアリ」とあり、等さんは『いやいや若い者が頑張らなくてどうするんだ。今まで育ててもらった恩は第一線に出てこそ生かすことができる。だから僕の願いを聞き入れてください』と言っている。やりとりが残してあったから、どんな気持ちか知ることができた」

小澤さんは記録を調べるうちに、遠い存在だった戦争と、自分との関わりを感じるようになったという。

(小澤さん)
「だんだん調べているうちに、自分がやっぱり『遺族』なんだなというふうに自覚のようなものが生まれてきて、そうなってくると、もうこのまま時間がたてば忘れられてしまう。いつかこの話が消えてしまうと思ったら、『伝えていかなきゃ』って思って、それで今に至ります」

戦死した等さんの記録を見ていた高校生。この2人も親戚に戦争へ行った人がいると話す。

(高校1年生 下田莉々奈さん)
「ひいおじいちゃんが戦争に関わっていて、会計とか事務的な仕事で戦争を支えていたというのは聞きました」

(高校1年生 加藤莉沙さん)
「母のお祖父さんが満州に行って、帰ってこられたんですけれど、母がちょっとだけ聞いたけどあまり聞けなかったらしい。戦争を知ることや調べたりすることで、自分にもできることがあるんじゃないかと思って」

(小澤さん)
「やっぱりこれから未来にも同じようなことが起こってほしくないっていうのは、みんなが思っていることで、自分のルーツを確認するのも、すごくいいことだと思う、一緒に頑張ろう」

身近な人が80年前の戦争とどう関わっていたのか。その事実を知ることは、戦争を「自分の問題」に変えていく。

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