
第二の人生は“社会への恩返し”…ココイチ創業者が続けるウクライナ避難民支援 クラシック音楽を心の支えに


カレーでおなじみのCoco壱番屋の創業者、宗次徳二さんは、経営を退いた後、社会貢献に力を注いています。第二の人生は「恩返し」と語る宗次さんは、ウクライナから避難した人々の支援を続けていて、音楽を通じて人々の心も支えています。
■今や“世界のココイチ”に…創業者の「カレーなる人生」
名古屋市中区にある「CoCo壱番屋」。カレーを注文しているのは、創業者の宗次徳二さんです。

宗次徳二さん: 「ココイチはね、お皿があったかい。(皿を持つ腕が)やけどする寸前の熱さにしようと」 創業当時の思い出を語る宗次さんは現在76歳、好奇心も食欲もまだまだ旺盛で、この日は新商品にチャレンジしました。 でも一番のお気に入りは、ビーフカレーにイカと野菜のトッピングなんだそうです。

宗次さん: 「好きなのでいうと、やっぱりイカリングとカツかな。ポークよりも割高な価格だけど、両方を食べ比べると断然ビーフがおいしい」 宗次さんは1974年、名古屋市西区で喫茶店「バッカス」をオープンしました。この店の人気メニューだったカレーの専門店を作ろうと思い立ち、1978年にCoco壱番屋の1号店が誕生しました。

宗次さん: 「どこの有名店のカレーよりも、高級店のカレーよりも、自分たちの喫茶店で出しているカレーが絶対おいしいと思った。『カレーならここが一番や』」。

宗次さんは寝る間もなく懸命に働き、Coco壱番屋は国内外で1400店舗を展開し、ギネス世界記録にも認定される「世界最大のカレーチェーン」になりました。
■ココイチから音楽へ…第二の人生は“恩返し”
宗次さんの人生には、まだまだ続きがありました。 宗次さんは2002年、53歳の若さでCoco壱番屋の経営を退き、およそ28億円の私財を投じ、クラシック専用ホール「宗次ホール」を建設しました。

お昼のランチタイムコンサートは、2007年のオープン以来、ずっと変わらず1000円で楽しめます。

宗次さんは、時間の許す限り、自ら来場者の出迎えやお見送りを行います。 宗次さん: 「一生懸命活動している音楽家に機会も提供できる。この仕事は利益は上がらないけど、満足しています」 音楽を通じた社会貢献。その原点は少年時代にありました。 1948年、石川県能登町で生まれた宗次さんは、幼いころ、児童養護施設で暮らし、養父母に引き取られたあとも貧しい生活が続きました。

そんなときに出会ったのがクラシック音楽でした。ロマン派音楽を代表するメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」、その美しくもどこか切ない調べに、宗次さんは魅了されました。

宗次さん: 「自分がクラシックに出会って、高校時代にもう本当に食べることにも事欠いていた時代も含めて、癒やされてね」 苦しい時代を乗り越えて、ココイチで成功をつかんだ宗次さんは、今度は社会に「恩返し」をする番だと話します。 宗次さん: 「もう私も年を重ねましたからね、新たな目標っていうのはあまり考えられないんですけども。社会貢献、ココイチを通じていただいたものはお預かりしたものだと思って、それを社会にお返ししていこうと」
■助け合いの一心で…ウクライナ避難民を支援
2025年7月、日本に避難しているウクライナの人々が、名古屋に集まりました。

宗次さん: 「私の好きな食べ物は、世界で2番目にボルシチです。一番好きなのはカレーです。食べること、生活することですよね、少しでもお役に立てればということで」 宗次さんはこの日、およそ30人に1人10万円の支援金を手渡しました。こうした支援をロシアの侵攻が始まった2022年以降、3年あまり続けています。

避難しているウクライナ人男性: 「日本に来てから安心な生活ができて、とても感謝しています」 避難しているウクライナ人女性: 「とても感謝しています。(7月24日に)私の家の近くで、両親がウクライナに残っているのに、爆発がたくさんあった。私は日本に来て安全な場所があるけど、今も心配している」 宗次さん: 「お元気だし明るいし、何事もないかのようにふるまって、夜は大変なんでしょうけどね、1人になったらね。余裕のある人がやっぱり手を差し伸べないとね、助け合いですもんね。その一心です」
■終わらない侵攻…音楽を“心の支え”に
遠く離れた日本で暮らす人々の支えにしてほしい、宗次さんはウクライナの人々をコンサートに招待しました。 8月7日に行われるコンサート「希望の調べ~平和への願いを込めて~」、演奏するのは、同じウクライナ出身のチェロ奏者、ラヴロワさん親子です。

娘のヤーナ・ラブロワさんは東京に避難していますが、母のテチアナ・ラブロワさんは現地の楽団に所属していて、今も首都キーウで暮らしています。 母・テチアナさん: 「遠くから聞こえるミサイルの音をもう誰にも聞いてほしくない。私は毎日ミサイルの音を聞いている」 テチアナさんが撮影・録音したキーウの様子を見せてもらいました。

明け方、突然爆発音がして、建物から黒い煙が立ち上りました。建物は焼け落ち、爆撃の跡も生々しく残り、命の危険と常に隣り合わせです。 そんなラブロワさん親子に手を差し伸べたのが、宗次さんでした。3年前、ヤーナさんが来日した際には、新品のチェロを無償で貸し出しました。

娘・ヤーナさん: 「ウクライナから当然、楽器を持たずに着の身着のままで避難してきて、チェロを弾けるなんて思っていなかった」 母・テチアナさん: 「宗次さんは日本の父親みたいです」

宗次さん: 「少しでも自分自身の気持ちを癒やすために、音楽の活動をもっとできるといいのかなって、そう思っていますね」
■“ふるさと”の平和を願い…ウクライナへ「希望の調べ」
8月7日、宗次ホールで開かれたコンサートには、招待されたウクライナの人々、およそ20人が訪れました。 「ウクライナのショパン」とも呼ばれるヴィクトル・コセンコの作品や、日本人におなじみの「さくらさくら」など、ラブロワさん親子の魂を込めた演奏で、聴衆を魅了します。

招待されたウクライナの人々も、ふるさとに思いを巡らせました。 ウクライナ人女性: 「前の人たちみんな涙をふいていた。すごく懐かしくて。なかなか日本で聞けない」 別のウクライナ人女性: 「こういう音楽を聴いていると何もないみたい、全然平和みたい。戦争が終わるかもしれないと感じる。それを信じる」

宗次さん: 「いつ自分のマンション、住まいに爆弾が落ちるかっていう中で、今もどこまで続くのか不安ですよね。終わりが見えないですもんね。少しでも余裕のある個人や会社や国が、余裕のない食べることのままならない人たちにも、目を向ける必要はあるでしょうね。こういうことがきっかけで、助け合い社会がもうちょっと進むようになればいいですよね」 2025年8月20日放送