かつて、名古屋から全国に名を轟かせたラッパー「TOKONA−X(トコナ-エックス)」。突然この世を去ってから20年以上が経った2025年11月、その人生がまとめられた本が出版された。 ドキュメンタリー映画の上映に世界配信と、今も音楽シーンに影響を与え続けている、その軌跡を追った。
■“名古屋にこんなすごい男がいた”と後世に
2004年、26歳でこの世を去った伝説のラッパー「TOKONA−X」。 90年代から2000年代初め、名古屋を拠点に活躍したヒップホップ界のレジェンドだ。激しい言葉で煽り、フロアを熱狂へ導いた。
2025年11月、TOKONA−Xの本が出版された。関係者300人を取材して、その人生が270ページにまとめられている。 作ったのは、ストリートカルチャー専門誌「roots magazine」の編集者・北川克彦さんだ。
roots magazine 北川克彦編集長: 「1990年代から日本のヒップホップが形になって出てきた時に、ほとんど95%ぐらい東京発信。“名古屋にこんな男がいたんだぞ”って後世に伝えたい」
■生い立ちもラップで表現 米・名門レーベルと契約し“全国区”へ
TOKONA−Xこと、本名・古川竜一。1978年に横浜市で生まれ、小学校を卒業後、両親の離婚をキッカケに父親の出身地・愛知県常滑(とこなめ)市へ引っ越した。当時のあだ名は、「トコナメ」。 父・古川正靖さん: 「無理やり連れてきたんだよね。俺の事情で(常滑市に)連れてきちゃった。高校の時から『お前どっからきたんだ?』って。『常滑だ』って。それで“トコナ トコナ”って呼ばれてたっていうのは、チラッと聞いた。“X”が“メ”になって、トコナメ」
当時、流行っていたアメリカのギャングスタ・ラップと出会い、自らの複雑な生い立ちなどを、ラップで表現した。 父・古川正靖さん: 「ラッパーならマイク1本で済むと。あんま金かかんないんだって言ってた記憶がある」
高校時代から、名古屋の洋食店で住み込みのアルバイトをしながら、ラッパーとして活動した。 洋風食堂みやちょう 石黒洋造オーナー: 「仕事もまじめにやるし、活発な子でしたよね。接客も長けてた。度胸ありますもんね。何年かした頃、『ぼくメジャーデビュー決まったんですよ』と言って、嬉しそうな顔してCD持ってました。メジャーデビュー凄いな!って言って、契約金1000万ぐらいもらったとか」
2003年、アメリカの名門ヒップホップレーベル『Def Jam Japan』と契約。地方のラッパーがメジャーと契約するのは異例のことで、TOKONA−Xの名は全国に知れ渡った。
■呂布カルマさんにも影響「名古屋に旗を立てたのがTOKONA−X」
人気ラッパー・呂布カルマさんは、TOKONA−Xの影響を受け、名古屋を拠点に活動している。 呂布カルマさん: 「別に東京に住んでいなくてもやれるじゃんというのは、思ったところはあります。ヒップホップの日本地図みたいなところに“名古屋”ってバチーンと最初に旗を立てたのが、TOKONA−Xだなっていうイメージですね。その後に続いている意識があります」
DJのRYOW(リョウ)さんは、TOKONA−Xに憧れてこの世界に入った、日本屈指のDJで音楽プロデューサーだ。RYOWさんにとって“神”のような存在。左足にも、タトゥーでTOKONA−Xが刻まれている。 RYOWさん: 「喜怒哀楽がしっかりしてるというか、破天荒というか。僕らに対してはめちゃめちゃ優しかったですね。(本で)好きな写真ありますよ。ライブ後の遊んでるときかなって思います。歌に嘘が無いというか、リアルな歌をずっと作った人。あの人がムカついたことに対して、全部リリック(歌詞)になってるんですけど、攻撃的な曲が多いんですよ。コテコテの名古屋弁だと思うんですけど、凄いパワーがあるなと僕は思ってますね」
2004年に発売されたTOKONA−Xのアルバム『トウカイ×テイオー』。 当時日本では、ヒップホップがアンダーグラウンドだった時代で、そのカリスマ性と存在感は圧倒的。TOKONA−Xは、ヒップホップ界の”帝王”と呼ばれるようになった。
しかし、2004年8月、名古屋市内のクラブで行われたイベントの後、車の中で倒れているのが見つかり救急搬送された。 その3カ月後の11月22日、心臓性突然死で死亡した。26歳だった。
父・古川正靖さん: 「最初は熱中症だって言われてた。薬だね…。自己責任だよね、という形」
■時代を超えて引き継がれるTOKONA−X
亡くなる数カ月前、RYOWさんが作った曲にTOKONA−Xが歌を入れた。タイトルは『WHO ARE U?』。TOKONA−Xの“遺作”だ。 RYOWさん: 「これでシングル出そうって言われたんで、むちゃくちゃ嬉しかったですね。(結果的に)遺作となって出たんですけど、僕もやらなきゃなっていうスイッチが入ったというか、一生大事な曲ですよね」 この曲は、TOKONA−Xが亡くなった後、何度もリミックス版が発表されている。 呂布カルマさん: 「トラックがどんどん差し替わってるんで。最新のフォーマットに乗ったTOKONA−Xが出続けている。若い子が触れる機会があるし、TOKONA-Xみたいな形の引き継がれ方をしているラッパーはいない」
TOKONA−Xの本は、命日の11月 22日に出版された。開かれた会では、RYOWさんが監督したドキュメンタリー映画『KING OF BULLSH*T -THE SAGA OF TOKONA-X-』も上映され、多くのファンが集まった。 中には、10代の若者たちもいた。 14歳のファン: 「アップルミュージックでヒップホップ聴いてたら、関連でTOKONA−Xが出てきて。聴いてみたら、コイツすげぇ〜なと思って、聞き始めた。偉大な存在です」 13歳のファン: 「神様ですね」 ファン: 「手本というか先生みたいな。生きざまがかっこいい。マネしたい」 「ステージのパフォーマンスも桁が外れてるので、凄いなと」
RYOWさんは、今もTOKONA−Xの曲を伝え続けている。 RYOWさん: 「上の人たちが作ってくれた名古屋のヒップホップ。僕らはつないでいく世代だと思ってる。若い子たちがカルチャーとして名古屋のヒップホップを受け取って、やっていってくれたら嬉しいなと思ってますね。ヒップホップに出会ったのもトコナメさんのおかげだし、自分の“人生を変えてもらった人”なんで。いまだにまだ“夢”持って動いてる」 音楽は時代を超え、伝説は生き続ける。
2026年2月16日放送


