
浅田真央さんが大須スケートリンクに里帰り 恩師・山田満知子コーチに語る指導者としての新たなスタート

今年、指導者として新たなスタートを切った名古屋市出身の浅田真央さん。恩師・山田満知子コーチとの特別対談で、地元愛知にまつわるエピソードを赤裸々に語りました。

名古屋市の中心部にある、大須スケートリンク。
数々の名選手たちが世界へと巣立ったこの場所に里帰りをした、名古屋出身の国民的スケーター・浅田真央さん。バンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得。記録にも記憶にも残る伝説のスケーターです。
恩師・山田満知子コーチと、テレビでは実に6年ぶりの対談が聖地大須で実現しました。
「私にとって大須は学校みたいな、小学校や中学校に行くよりも大須スケートリンクに居た時間の方が長かったので、母校に帰ってきたみたいな。来ると当時のことを思い出します」(浅田さん)
指導者として新たなスタート

5歳からスケートを始めた真央さん。満知子先生の門下生となったのは小学5年生からでした。
「満知子先生から見て私はどんな生徒でした?」(浅田さん)
「憧れ。真央は自分の意見を曲げずに、良いところなのか悪いところなのかわからないけど、自分を持っている。すごいなって憧れるエンジェルさん。強いよ~」(山田コーチ)
「そうかもしれない…」(浅田さん)
「自分を持っているから世界一までいったし、今も1人で戦っていけるのは、真央だから」(山田コーチ)
今年8月、東京で「木下MAOアカデミー」を開校し、指導者として新たなスタートを切った真央さん。競技生活で培った経験を活かし、満知子先生の背中を追う決断をしました。
「真央が指導者になるのは、頭の中になかった。人を育てるのではなく、自分を磨いていく人生を歩むと思っていたので、一流の人は簡単に自分ができてしまうので、指導者になるのは難しいっていうのがあって、大丈夫かなっていうのと、怖い先生になるんだろうなって。妥協を許さない厳しい先生」(山田コーチ)
「怖くはないです。満知子先生の指導も受けているので、本当に大きな愛がある先生で、私もすごく感じて指導を受けていたし、スケートの楽しさや、子どもたちがスケートが好きって思ってもらえることが一番大切。私にしてくださったことを思い出しながら指導させてもらっています」(浅田さん)
時に愛が強すぎる満知子先生。1つだけ反面教師にしたいことが…。
「レッスン中にすごい力で持つので、セーターが破けるっていう(笑)」(浅田さん)
「動かないと力を入れてしまう。今でもリンクでやっている時(教え子が)何を習っているのかというと、痛みに耐えるだけ!」(山田コーチ)
「そういう思い出があります」(浅田さん)
指導歴60年を越えた名伯楽だからこそ授けられる、アドバイスがありました。
「真央は私とは違う形でいったらいい。人間性の魅力をいっぱい持っているから、その魅力を好きな人が集まってくれる。真央は真央らしい味を出して育ててほしい。(私が)82歳で頑張っているから頑張らないと!」(山田コーチ)
「私はこれから修業して、先生の生徒と私の生徒が一緒に試合に出られるところまでは。そこまでもっていけるように頑張ります」(浅田さん)
「生きていられるかな…」(山田コーチ)
懐かしの味も堪能

浅田真央さんが世界へと羽ばたいた大須スケートリンク。
目と鼻の先にある大衆食堂「互楽亭」には名物メニューがあります。それが、「真央ちゃんチャーハン」です。
大須で練習をしていた時、訪れたら必ず食べていたというチャーハンをご用意。15年以上ぶりという思い出の味を食べてもらいました。
「かまぼこが入ってチャーシューも入って、口に入れた瞬間、香りが昔のまま。なつかしい味でした」(浅田さん)
グランプリファイナルが8年ぶりに名古屋で開催

今から20年前。大技・トリプルアクセルを成功し、真央さんが15歳にして世界一に輝いたグランプリファイナル。
グランプリシリーズの上位6人のみが進出できる世界一決定戦が12月、8年ぶりに名古屋で開催されるんです。
「私も名古屋出身として、世界的な試合のグランプリファイナルが名古屋で行われるのはうれしいし、今シーズンはオリンピックシーズンなので、みんなオリンピックに向けての気合があると思うので、みんなの滑りを観るのがすごく楽しみです」(浅田さん)
「日本であることもすごい。それが愛知・名古屋である。これから育っていく子どもたちにとっては観に行きやすいから勉強もできるし、ありがたい」(山田コーチ)
「自分も5歳からずっとフィギュアスケートをしてきて、ここまでフィギュアスケートとともに成長してきたので、1人でも多くの子どもたちが自分の夢を叶えられるように、これからも日本から世界で勝てるようなスケーターが出てきてほしいなと思います」(浅田さん)





