
日本代表は史上最年少16歳から…女子バスケで今も衰え見せない33歳の渡嘉敷来夢 亡き恩師の言葉を胸にロス五輪へ


女子バスケットボールの渡嘉敷来夢選手(とかしき・らむ 33)が、3年ぶりに日本代表に復帰しました。東京五輪に出場できなかった悔しさと、亡き恩師の言葉を胸に、3年後のロサンゼルスへ強い思いで挑んでいます。
■歴史刻んだ東京五輪 コートに立てなかった悔しさを胸に
渡嘉敷選手は、名古屋の桜花学園高校2年の時に、史上最年少の16歳で日本代表に選出されました。 2016年にはリオオリンピックに出場するなど、長年、女子バスケ界を牽引してきました。 昨シーズンからは、愛知県安城市に本拠地を置く「アイシンウィングス」に加入し、自身6度目の得点王となり、その実力は33歳になった今も衰えを見せません。

そんな彼女にとって忘れられないのが、「東京オリンピック」です。 日本女子バスケが銀メダルを獲得して、新たな歴史を刻んだ大会でしたが、渡嘉敷選手は直前に右膝靭帯断裂という大ケガをし、出場を断念しました。あの歓喜の輪の中に、渡嘉敷選手はいませんでした。 渡嘉敷選手: 「リオオリンピックを経験して、東京、パリと経験できていないので。自分自身、不完全燃焼で、悔しい気持ちが残っているからこそ、年齢とかを言い訳にするのではなく、しっかりと挑戦してチャレンジして、ロサンゼルスのオリンピックの舞台に立ちたいなという気持ちが本当に強いです」
■亡き恩師と最後の会話で…「日本代表にいるべきだ」
3年ぶりに代表に復帰した渡嘉敷選手を突き動かす原動力は、東京・パリでの悔しさに加え、名古屋の桜花学園で共に汗を流した「2人の存在」です。 その1人が、2024年12月に亡くなった恩師、井上眞一先生です。

井上先生は会う度に、「お前は日本代表にいるべきだ」と話していたといいます。 渡嘉敷選手: 「桜花の井上先生にも、亡くなるちょっと前に会えたんですけど、その時にも『お前、次のオリンピック頑張れよ』と言われたので。会う度に『お前は日本代表にいるべきだ』とずっと言ってくれていたので。今までお世話になった先生が最後そうやって言ってくれたのは、自分にとってもう1回頑張れる、頑張らなきゃいけない、それが井上先生への一番の恩返しだと思っているので。それがある限りは諦められないというか、やめられないっすよね」 そして、高校の2学年先輩で、日本代表最年長の高田真希選手の存在も…。

渡嘉敷選手: 「本当に神様です。リーグ戦でもそうですし、日本代表でも自分がきついなって思った時に、やっぱり2つ上の高田さんが頑張っていたら、いや自分もこんなこと言ってられないなって。でも負けたくないといいますか、一緒に頑張っていきたいなと思っています」 栄光も挫折も経験し、日本代表に帰ってきたベテラン・渡嘉敷来夢選手。3年後のロサンゼルスへ、見据える未来があります。 渡嘉敷選手: 「この2大会(東京・パリ)があったからこそ、次のオリンピックにかける思いがこれだけ強いというのも間違いないですし。ただやっぱり(東京五輪)銀からの、こういう結果(パリ五輪1次リーグ敗退)の後って、もう1回注目してもらうには、もう1回オリンピックで結果を出すことだと思うので。これでオリンピック行って結果出したら、めっちゃカッコよくね?って今思っています」

バスケットボール女子日本代表は、愛知県稲沢市で6月7日と8日、チャイニーズ・タイペイとの国際試合に挑みます。