「のこぎり屋根」フォーエバー 繊維産業で栄えた愛知・一宮市で激減する工場を絵に残す女性

愛知県一宮市は繊維産業で栄えましたが、現在は安い海外製品に押されるなどして衰退。それに伴い、製品を作る工場も大きく減少しています。
そんな中、繊維工場を営む家で育った女性が、特徴ある工場を絵に残す活動をしています。工場に対する女性の思いに迫りました。

一宮市の「一宮市三岸節子記念美術館」に展示されているのは、市内ののこぎり屋根工場の絵です。8月末まで行われたこの展示会に多くの作品を出展していたのが、「コウバズオンリー(Koubas Only)」。一宮市出身の宮田菜津美さんと、イギリス出身のコリン・ラムさんによるアートユニットです。なぜ、のこぎり屋根工場の絵を描くのでしょうか。

一宮市の繊維産業の歴史は長く、大正初期から昭和後期にかけて何千棟もののこぎり屋根の工場が建てられました。この変わった形の屋根は実は採光が目的。電気がなくても細い糸がよく見えるよう日光を取り入れやすくするためなんだそう。当時は町のいたるところで織機のガチャンガチャンという音が聞こえるほどだったといいます。
一宮市で育った宮田さんも祖父が繊維工場を経営していて、回りに工場があるのが当たり前の生活でした。

コウバズオンリー 宮田菜津美さん:
「朝から晩まで、祖父母が小さな繊維工場で働いていました。大量生産の時代になって、その影響で地域一体が落ち込んでいきました」
海外製品との競争の激化や、後継者不足に労働者の高齢化。さまざまな理由で1970年代には8000を超えていた工場が今では2000ほどまでに減少しました。
上質な生地を仕上げる職人たちは、一宮の誇り

コウバズオンリー 宮田さん:
「一宮って喫茶店の町っていうんですけど、(客のほとんどが)職人さんでした。そういう方たちが織ってるものが、世界のハイブランドにも使われているようなものすごく上質な生地を仕上げています。そうした技術を持っていて、私たちの地域ってこんなにも誇りの持てる地域だったんだと、大人になってから気がつきました。
ぼんやりと何とかならないのかなという気持ちはあったんです」

本業は食品のパッケージデザインをしている宮田さん。自分の得意な絵を描くことで、生まれ育った地元に何かできることはないかと考えるように。そこで始めたのが、「尾張弁アート」でした。

コウバズオンリー 宮田さん:
「これが最初に描いた尾張弁アートの作品です。うちの祖父の昔の工場ですね。私が『ただいまーおなかすいたー』と帰ると、おじいちゃんが後ろから『おかえりー芋ん焼いたるで、はよカバンおいてりゃあ、まあそろそろ雪んふってくるけあ』と声をかけてくれて。
地域性のある絵と地域の方々が話している言葉を1つの絵にまとめて、自分の育った場所を表現したかったんです」

温かみのある尾張弁と絵を掛け合わせた「尾張弁アート」は、個展を開いて反響を呼びました。その中の1枚にのこぎり工場の絵も。この1枚が新たな出会いを生みます。
宮田さんの個展にたまたま来たのが、のこぎり工場を中心に絵を描くコリンさんでした。
「どんどんなくなる。めっちゃさみしい」

コウバズオンリー コリンさん:
「24年前ここに来ました。一宮僕の第二の故郷。最初はただ ボロボロ工場だと思った。ちゃんと見るとさびさび、鳥の巣、すごいきれい。どんどんなくなる。いつかなくなると思う。さみしい。めっちゃさみしい」

自分と同じ思いと、のこぎり工場を描く人として、2人は意気投合。工場の絵を描くアートユニット「コウバズオンリー」として活動が始まりました。合作でたくさんののこぎり工場を描く活動が実を結び、地元、一宮市の美術館でのこぎり屋根の展覧会に出展することになりました。

客:
「昔はこんな屋根の工場がたくさんあったんだな、と。子どもたちが見るといいですよね」
客:
「尾西と一緒になる前から一宮市民なので、割とうちの近所も田舎なのでのこぎり屋根の機織屋さんがいっぱいありました。時代の流れですよね。どんどん住宅地になって取り壊して新しい住宅が建っているので、こういう展示を見れてよかったです」

コウバズオンリー コリンさん:
「この間、この工場の絵を描きました。でももうない。でもちゃんと絵を描いた。それをみんなに見せたい。守りたい。地元の歴史はすごい大事。みんな忘れないでね」

コウバズオンリー 宮田さん:
「もし皆さんが町を歩いてのこぎり屋根を見つけたら、『あ、こんなにきれいなんだな』ってちょっと目を向けて、心の中で地域を支えてきた工場にそっと拍手をしていただけるような活動を目指しています。ゆっくりなんですけど、長く進めていきたいですね」