
地震からの生活再建 厳しい現実 「この状態じゃ戻って来れん」 能登の震災では今も“手つかずの家”が…地域の絆をどう守る

能登半島地震から1年以上経っても、手つかずの家が残る輪島市の渋田町。
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市は住民の同意があれば、復興の選択肢に集約化もかかげていますが、住民からは本当に集約化が良い方向か疑問を投げかける声も…。
あの地震から1年以上、時間が止まってしまったかのような町が。
輪島市南志見地区の渋田町。水道も電気も復旧せず、今は誰も住んでいません。
地震で自宅が全壊した兼業農家の川岸修一さん。田んぼや用水路も壊れ、生活の糧まで失い、今は100キロ離れた金沢市のアパートに身を寄せています。
(川岸修一さん)
「この状態じゃ戻って来れん。(自宅が)公費解体されて、この状態になったはいいけど、道もこの状態で水道も来ないってなれば、この先に進めない」
追い打ちをかけたのは去年9月の豪雨でした。唯一残った作業所も浸水し、地震では助かったアルバムも水浸しに…。
ここでの生活再建を希望していますが、国が向かっているのは別の方向のようです。
「集約的な町作り」の先にあるのは…
(財政制度等審議会 増田寛也 会長代理)
「能登半島地震からの復旧復興にあたっては、地域の意向を踏まえつつ集約的な町作りやインフラ整備が必要」
去年4月、財務省の諮問機関は復興に「集約化」を提言。
地方の切り捨てになるのではないか…、議論を呼んだ提言の背景には、東日本大震災がありました。
災害に強い街を目指し、国は6500億円以上を投じて岩手・宮城・福島の3県で
地盤のかさ上げなど1009ヘクタールを整備しましたが、活用率は76パーセントに留まっています。
市の中心部を10メートル以上、かさ上げした岩手県陸前高田市では…。
(鶴亀鮨 阿部和明さん)
「この通りは、今(この時間)からやっているのは俺くらい」
整備された市の中心部で寿司店を構える阿部和明さんには「こんなはずではなかった」との思いも…。
(鶴亀鮨 阿部和明さん)
「時間かかり過ぎたので、みんないなくなった。いい町つくったって話できればいいんだけど、あんまり立派な町ではない」
かさ上げ工事は8年におよび、住民は高台や市外へと移っていきました。人口は4割減り空き地も目立ちます。復興の議論に持ち出された「コスト」と「時間」。
能登の地震で大きな被害を受けた輪島市は復興計画に住民の移転を前提にした「生活拠点の集約化」を打ち出しています。
しかし川岸さんの住んでいた渋田町はその拠点にはならず、復興の対象から外れる可能性が強まっています。
(輪島市企画振興部 山本利治 部長)
「復旧はどんどんしていきたいが、果たして本当に元に戻せるかという場所も正直ある」
地域のつながりを守るために
能登半島地震から1年2か月。輪島市全体で元の家で生活できていない市民は約20地区・200世帯にのぼります。
この日は、渋田町も含まれる南志見地区で、今は離れて暮らす人たちが集まるイベントが開かれました。
(小塚仁美さん)
「狭いコミュニティーなんで、私の子どもたちも自分の孫みたいな感じ。地域全体で子育てしてる感じが私はすごく好きだった。あんまり疎遠にならないように、行ったり来たりしたいが、なかなか…」
バラバラになりかけたコミュニティーを何とか、つなぎ止めようとしています。
今は金沢で暮らす川岸さんはコストを理由にした集約化の「理屈はわかる」と話す一方「行政都合だ」と納得できない一面も…。
(川岸修一さん)
「(集約化は)近くにいれば言葉は悪いが管理しやすいだけの物理的な要素でしかない。心の問題となると…、ちょっと僕は違うんじゃないかと」
南海トラフ巨大地震は被災エリアが桁違いの規模に…。命はもちろん、帰る場所、そして人とのつながりをどうしたら守れるのでしょうか。
CBCテレビ「チャント!」2025年3月11日放送より