
コロナ禍で得た教訓をつなぐ「志村けんさんの死」から5年 ワクチン接種の“光と影”が問いかけるもの【大石が聞く】

国民的スター志村けんさんが亡くなってまもなく丸5年になる。
バラエティー番組やCMなどで見ない日はないというくらいテレビの王様だった。
その志村さんが、2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった(享年70)。
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その訃報は日本中を駆け巡り震撼させた。
知らぬ者のいない有名人で、医療措置を受けていたにもかかわらず、それでも命を救えなかった事実は、人々に漠然とした恐怖を植えつけた。
さらに、実兄の知之さんでさえも、弟の死に際して故人の顔を見ることができず、遺体が病院から直接火葬場に送られたことが報じられると、あの得体の知れないウイルスの持つ残酷さに多くの人が言葉を失った。
志村さんがコロナで死亡した衝撃は、特に高齢者にとっていかに怖い感染症かを強く認識させ、その後のコロナへの意識を確実に変えた。
およそ1カ月後には、女優の岡江久美子さんが亡くなった(享年63)。
乳がんを患っていた岡江さんの死は、新型コロナウイルスが基礎疾患のある人にとって非常に危険であり、警戒が必要であるという警鐘を国民に強く鳴らした。
未知の部分が多いウイルス 時計の針が止まったように・・・
季節は春にさしかかっていたが、世界には長い間、春が訪れなかった。
全国の小、中、高校で一斉休校となり、選抜高校野球は中止、さらに4月には緊急事態宣言が出され、社会全体の時計の針が止まったようだった。
人々の交流は途絶え、孤独が広がり、マスクが顔の一部となって表情が失われた。
この間には様々なコロナ対策が実施された。
三密回避、マスク着用、手指消毒、換気の徹底、アクリル板の設置など、多くの日本人は国の要請に従った。
2021年の春からはワクチン接種もスタート。
リスクが高いと見られた高齢者と基礎疾患のある人から接種が進められ、次に年齢の高い順に接種券が送られた。
菅政権の「1日100万回接種」という目標の下、各自治体は接種を積極的に推進した。
当時接種率が低かった20代から30代を対象に、2回接種した若者世代に抽選で自動車や旅行券をプレゼントする県がでたり、ワクチンパスポートと呼ばれる接種証明書を提示しないと入国できない国もでたりするなど、ワクチン接種が強く推奨される社会へと変化した。
あくまでも任意、つまり最終的な判断は個人に委ねられるという原則が忘れられ、「努力義務」という表現が、接種を義務であるかのような誤解を与えた。
コロナへの不安や同調意識の強い国民性も影響し、接種率は80%を超えた。
ワクチンの“光と影” 取材を通じて見えてきたもの
一方で、ワクチン接種後に頭痛、胸痛、全身倦怠感、歩行困難など多岐にわたる症状を発症し長い間苦しんでいる、いわゆるワクチン後遺症の患者も多く、私は100人近くを取材し、また接種後に死亡した10人以上の遺族にもマイクを向けた。
国が接種後の健康被害による死亡として認定し、救済した事例は2025年3月17日現在で994件、今もそのことを公にできない遺族も多い。
もちろん、ワクチン後遺症の患者も同じだ。
声をあげれば、今なお「反ワク」という言葉で一括りにされ、誹謗中傷の対象になってしまうからだ。
コロナワクチン問題を3年半以上取材して気づいた反省点がある。
ワクチンのメリットばかりを伝え、副反応のリスクなどデメリットをほとんど伝えなかった責任は国、各自治体、そして我々報道にもある。
あまりにも情報が不足していたため、メリットとデメリットを両天秤で測ることができず、最終的に国やメディアの情報を信じて接種した人が多かったのではないか。
ワクチンの光ばかりが強調され、影の部分が十分に伝えられていないと感じている人は少なくない。
取材を通して見えてきた“影の部分”は、次にやってくるかもしれないパンデミックへの重要な教訓となることは言うまでもない。
志村けんさんの衝撃的な死から5年。時代はどのように変化したのだろうか?
“コロナ禍”の教訓を未来につなぐために
感染症法上の分類は2023年5月に2類から5類に変更され、世界は徐々にかつての日常を取り戻したが、その理由は何なのか?
経験に基づく治療法の改善はあっただろう。しかし、いまだに特効薬はなく、ワクチンに劇的な効果も見られない。
コロナ禍の状況を明らかに変えるような要因は存在していないのである。
それでも、世の中はコロナ禍前の世界に戻りつつある。
では、何がそうさせたのだろうか?
それは一人ひとりが抱いている意識ではないだろうか?
新型コロナウイルスへの恐怖に過剰に反応していたために形成された社会の雰囲気が解放されたことで、マスクを外す人が自然と増え、ワクチン接種をしない人にも寛容になってきた。
意識が恐怖に支配され、画一的になれば多様性は失われる。
そして、自分と異なる考え方を受け入れられない、寛容さを忘れた社会が形成されてしまっていたと感じる。
我々はコロナ禍の教訓を深く心に刻み、未来に生かしていきたい。
それは、次に起こるかもしれない感染症によるパンデミックに備えるためだけではない。
我々日本人が、再び同じ道を歩むことのないようにするためでもある。
CBCテレビ 解説委員 大石邦彦