「私はアルコール依存症者です」
【写真を見る】元TOKIO・山口達也さん 朝起きると…身に覚えのない“新しい焼酎”が ラストオーダーでは「焼酎ダブルを5杯」 変わっていった飲み方【中編】
そう言ってマイクを握るのは、元TOKIOの山口達也さん。
20歳の頃 友人たちと楽しく飲んでいたお酒は、いつしか1人で飲むものへと変わっていきました。
仕事は絶好調なのに、どこか満たされない毎日。記憶を失ったまま深夜にコンビニへ向かい、気づけば新しい焼酎を用意していた日も。不祥事で芸能界を去った約2年後、“止まっていた”はずのお酒を飲み、バイクにまたがった山口さん。
華やかな舞台に立ち続けた山口さんが、医療を学ぶ専門学校「名古屋医専」の生徒たちを前に、自らの依存症を包み隠さず語りました。
この記事は【中編】です。【前編】と【後編】は以下のリンクから読むことができます。
【前編】“お酒が強いね”は褒め言葉だった 「熱が出たらもっと飲んでやろうと」 アルコール依存症の闘病体験
【後編】 「気を失うまでお酒を飲まないと、その日が終わらなかった」 根っこにあった“低すぎる自己肯定感”
「仕事も忙しい、お酒も美味しい。順調な人生でした」
(山口達也さん)
30歳ぐらいになったら、ボトル1本ぐらいは飲めるように。20代前半の頃っていうのは収入も安定していません。お酒も知らない、お店も知らない、友達も少ないので、先輩に連れて行ってもらわないと飲めなかったわけですけれども、30歳を回るぐらいになったら、仕事も安定する、収入も増えてきた。自分の好きなお酒ができる、飲み友達ができる、お店なんかもお気に入りのお店ができる。
そしてさらに、自分の後輩を今度は飲みに連れて行くことができるわけですよね。「お酒っていいな」って。
人付き合いだったりそういうのも全部先輩から受け取って、後輩に渡していく。そういう中で友達が増えて「お酒が飲めるっていうのは仕事に繋がるんじゃないかな」と思う。一生懸命飲み会に参加しました。
「いい文化だな、死ぬまで酒飲もう」と。それが自分の中心になっていったのかな。
35歳ぐらいから40歳ぐらいですかね、仕事も順調になってきてどんどん忙しくなってくる、お酒も美味しい。順調な人生でした。文句もありません。
ラストオーダーで「焼酎ダブルを5杯」 40歳頃から変わった“飲み方”
35歳ぐらいかな、飲み方が変わってくる。例えば20時ぐらいに仕事が終わってもう家に帰ってきちゃったと。飲み会の時間まで1時間ある、飲み屋さんまで5分。「1時間どうしよっかな、シャワーでも浴びようかな、いやでも出かけるしシャワー浴びられないな。どうしようかな、暇だな。飲むか」って、家でビールを飲むわけです。
飲み会に行く前にお酒を飲むようになった。そしてお酒を飲んで現場に行って21時から乾杯して、ハイペースで強いお酒をガーッと飲む。23時ぐらいになるとラストオーダーになります。
今までは「お疲れー」と会計を済まして、タクシーを呼んで「また明日ねー」って言って帰っていました。でも、ラストオーダーになって私は何を頼み始めたか。「焼酎のダブルを5杯ください」と。
21時から23時まで飲んでいる、早く帰ればいいのに、そこからまたさらにお酒を頼み始める。飲み方がどんどん変わってきたんです。
友人との飲み会を断り…1人で飲むように
さらに飲み方が変わっていきます。もう家に帰ってきてすぐ酒を飲むのは当たり前になってきた。「どうせこのあと酒飲むんだから、家で飲んでっていいでしょ」と。
最初はビールだけだったんですけど、そのうち焼酎を飲み始めるわけです。個人差はありますが、30分から1時間で酔いが始まると言われています。20時に帰ってすぐビールを飲む。その後は焼酎に切り替える。そうすると結構ハイペースで飲み始めるので、20時半ぐらいになると酔いが始まる。
そして友達に電話するんですね。「ごめん今日疲れてるからやめるわ」「ごめん今日眠いからやめる」「ごめん明日朝早いからやめる」。友達との飲み会を断り始めました。1人飲み・家飲みが始まった。
これが、非常に危険な飲み方だったなというふうに思います。
朝起きると…身に覚えのない「新しい焼酎」が
その当時、40歳ぐらいの時は本当に忙しかったです。朝の情報番組だったり、いろんな番組の司会をやったりと、なかなか時間がなかったわけです。
「いいじゃないか」「友達も忙しいし自分も忙しいし、家で大好きな酒を飲めればいいんじゃないか」と。眠くなったら寝て、朝起きて、また仕事に行くわけです。1人飲み・家飲みっていいなと思いました。「本当こんな好都合な飲み方あったのかと、もっと早く気づけばよかった」と。
仕事も順調、お酒も毎日飲んで寝られる。このルーティンが自分の中で決まりでしたね。
しかし、ある日朝目が覚めてリビングに来たときに、新しい焼酎があったんです。新しいの置いてあんの?誰が買ってきた?
一人暮らしなんですよね。ゴミ箱見に行ったら、昨日飲んでたであろう焼酎が捨ててあったんですね。どういうことかっていうと、自分が買いに行ってるんですよ。記憶が飛んでいるわけです。
でも、それがやばいとは思わなかった。なぜか、仕事は絶好調だからです。朝起きたらバリっと起きて仕事ができているわけです。これが依存症の飲み方であったと今振り返ってようやく気づいた。
2018年に起こした“不祥事”で芸能界を去ることに
私は2018年に芸能界を去りました。
不祥事を起こしました。これに関してはお酒は一切関係ありません。自分の起こした問題です。
この時、全てのものがなくなって、仕事もなくなりました。仲間もいなくなりました。取引しているところも全て一瞬で、私の前からいなくなった。完全に底を突いたわけです。
振り返ると、私の心は正常ではなかった。「なんでこんなことをしたんだろう」と未だに反省し続けています。謝りたいと思いました。
でも、謝りたい相手も私の前からいなくなりました。もう謝ることができないんです。未だに謝れてない人はたくさんいます。死ぬまで反省します。お酒は一切関係ありません。これは山口達也が起こした不祥事です。
そういう中で、お酒をやめました。やっぱり飲み方がおかしかった。なんでこんなに記憶がなくなるまで毎晩飲んでいたんだと。人に迷惑をかけないように生きていこうと決意しました。
“止まっていたはず”のお酒を再び口にしてバイクで事故
2020年9月22日。私は再びお酒を飲んで、今度はあろうことかバイクにまたがりました。記憶を失ったまま約40分間 東京の幹線道路を走り、事故を起こしました。
そこで死んでいたら、今日皆さんとお会いできなかったと思うし、そこで誰かの命を奪っていたら、今日こういう状態にはなっていないと思います。
あんな不祥事を起こしても、お酒をやめることができなかった。私は次飲んだら、同じこと、さらにもっとひどい状態になる。
私はここで初めて「助けてください」と、手を挙げることになります。何をやっても結果が違う方向に出る、裏目に出る。
まっすぐ生きていこう、静かに生きていこう、自分の足で生きていこうと思っても繰り返してしまう…。「助けてください」ようやく言えました。
この記事は【中編】です。【前編】と【後編】は以下のリンクから読むことができます。
【前編】“お酒が強いね”は褒め言葉だった 「熱が出たらもっと飲んでやろうと」 アルコール依存症の闘病体験
【後編】 「気を失うまでお酒を飲まないと、その日が終わらなかった」 根っこにあった“低すぎる自己肯定感”


