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「スパイを警戒して民間人を…」山あいに建てられた”東洋一の火薬庫”【戦後80年】

メ~テレ
09.28(日)10:00

岐阜県関ケ原町の山あいに陸軍施設として使われ、その規模の大きさから「東洋一の火薬庫」と呼ばれる施設跡がある。戦時下の厳戒態勢の中、隣接する村の住民たちが施設の全容を知ることはなく、終戦後に初めて自らの命が危険にさらされていたことを感じた。6歳の時に、この地で終戦を迎えた住人に話を聞いた。

火薬庫の前で話す渋谷さん

 滋賀県米原市との境に「玉の火薬庫」(正式名 名古屋陸軍兵器補給廠 関ケ原分廠)はある。大正初期、陸軍によって開設されてから、終戦までの約30年間使用された。

 関ケ原町玉地区(旧玉村)の住民らが火薬庫についてまとめた冊子「平和の願い 関ケ原・玉の火薬庫」によると、200haを超える敷地面積に約200の保管庫を備え、東京や京都などの工場で製造された火薬が搬入され、必要に応じて各地の軍需工場へ搬出された。

 その規模から「東洋最大規模の火薬庫」と呼ばれ、現在、一部が一般公開されている。関ケ原町の元教育委員長で、玉地区で生まれ育った渋谷光昭さん(86)を尋ね、話を聞いた。

「戦時中は火薬庫の中には入れてもらえないから(内部の様子は)全然わからなかった。ただ、兵隊さんと遊んだ程度のことを強く覚えています。あとは、終戦後に火薬が運び出されて焼却処分された時のこと」

 終戦時は6歳だった。

「戦争が終わって、進駐軍が火薬を持ち出した後に、火薬庫に初めて入ってびっくりした。『こんなものすごく広いところで、これだけ多くの火薬があったのか』と思った」と振り返り、「恐ろしいところに住んでいた」

■火薬庫の入り口

営門跡

 渋谷さんに案内をお願いし、火薬庫に向かった。途中、集落と火薬庫を結ぶ道に、石造りの営門跡と立哨台(見張り台)を見つけた。

 「ここから出入りが厳しくされ、門鑑(通行許可証)が必要でした」

 なぜ、岐阜県のこの地に火薬庫が造られたのか。

 当時の記録には、本州の中央に位置し、交通の便が比較的良い一方、周囲を山に囲まれているために警戒がしやすいことなどが挙げられている。

 

■半洞窟式の火薬庫

半洞窟式火薬庫

 車で進むと、左手にコンクリートで覆われた施設が現れた。施設の上には草木が生い茂っている。

 「ここは半洞窟式の火薬庫でした。草木が生えているから、空から見つかりにくくなっているんです。戦争が終わって、1970年代に隣に屋外スケート場ができたので、スケート靴をはき替える場所として再利用していました」

 そのスケート場もなくなり、現在は立ち入り禁止になっている。

■「スパイ警戒して…」民間人が火薬を運搬 

洞窟式火薬庫の内部

 半洞窟式火薬庫から約600メートル先に、公開されている洞窟式火薬庫がある。火薬庫周辺には立哨台が複数あり、警備の厳重さがうかがえた。当時、約40人の兵士が交代制で1日中、警戒にあたった。

 火薬庫の中に入ると、洞窟だけあって、ひんやりしている。

 関ケ原駅から火薬庫までの火薬の運搬には、馬車が使われた。運んでいたのは民間人だった。

 「終戦後、馬車の仕事をしていた人に、子どもの頃によく乗せてもらっていました。その時に話を聞きましたが『決して火薬を運んでいると、思われないよう気を付けていた』ということを言っていました。火薬を莚(むしろ)で覆って、隠しながら運んだそうです。『どうしてそんな面倒なことをしたの』と聞くと、『どこにスパイがいるかわからないから』と答えました」

 地元の住民が馬車で荷物を運んでいるように見せかけ、実際は火薬を運んだことについて、渋谷さんは軍の意図があったのではないか、と見ている。
 
 「軍が運搬すると火薬庫の存在がスパイに知られてしまう可能性があるので、農業をやっている人たちを雇って、火薬を運搬させたんじゃないでしょうか」

 1941年には道路が整備され、馬車からトラックの運搬に代わっていった。住民らがまとめた冊子には「1941年、太平洋戦争が始まり、運搬の頻度は年々高まっていきました」と記されている。その頃に火薬庫の貯蔵能力の拡大も図られた。

■戦後80年

地図

「もし空襲を受けて火薬庫が爆発していたら『あんたのとこの村は跡形もなくなっているやろうな』ということを言われます。そのことを思うと『恐ろしいところにおったんやな』ということは後になって感じましたね」

 「生活のすぐ隣に潜んでいた命の危険」を住民たちが知ったのは、終戦後のことだった。

「戦後80年が経って、わたしたちの世代が戦争を覚えている『最後の年代」だと思います。自分が生まれ育ったところにそういう戦争遺産的なものがあることは、語り継がなくてはならない責任も感じるし、こうして生きてることも喜ばないといけない。いろんなことを感じますね」


■玉の火薬庫
JR関ケ原駅から北西に約5キロ、関ケ原鍾乳洞の隣にあり、見学は無料

(メ~テレ 水野健太)

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