101歳の元兵士が語る「弾1つない」撃滅作戦【戦後80年】

戦争を知る人が減り続ける中、愛知県豊川市の101歳の元兵士の男性がいま、伝えたいことを取材しました。
「みなさん、このお話は昭和20年(1945年)8月14日、終戦の1日前に田原で起きたお話ですよ」(前日の会 山田政俊さん=80歳)
5月、田原市の小学校で、紙芝居を披露したのは、田原市の市民グループ「前日の会」。終戦前日の1945年8月14日に、市内を走る当時の名鉄渥美線の列車がアメリカの爆撃機による攻撃を受け、地元の中学校に通っていた生徒など15人が亡くなり、16人が重軽傷を負った惨劇を語り継いでいます。
「敵の戦闘機が現れた。気付いた運転手は森の中へ電車を入れようと全速力で電車を走らせたのだが…間に合わなかった。土手にへばりつく人や止まった電車にめがけてP51は何回も機銃掃射を繰り返した」(山田さん)
「前日の会」が立ち上げられたのは今からおよそ10年前。当時、攻撃を記録した詳細な資料はほとんど残っていなかったといいます。
山田さんは「詳しいことについての記述はなかったということで、そこに関わった人たちがどれくらいいるかを調べ始めた」と振り返ります。
山田さんが中心となり、当時を知る人たちから証言を集めて紙芝居を制作。その後は、学校や施設などを回り、出前授業を開いています。
話を聞いた児童たちからは「電車で撃たれてしまったところが1番悲しいところだったから、1番印象に残っています」といった声や「昔の人がいたからこそ今、平和に過ごせているので、昔の人の出来事をもっと知っていきたいと思いました」という声が聞かれました。
山田さんが活動を続ける一方で、危機感を抱いているのが当時を知る人の減少です。多い時には50人ほどいた証言者は現在、わずか2人となりました。
「戦争経験者の証言を次の世代に伝えたい」と山田さんは戦争時の渥美半島の状況を記録に残そうと、新たに証言を集める活動を始めました。
101歳の元兵士「弾1つない」

その中で出会ったのが愛知県豊川市に住む井上初雄さん、101歳です。
「無事に暮らせるかは分からなかったね、その時は。みんな戦死してるから。その時は死ぬ気になって兵隊入るには入ったね。軍隊にね」(井上さん)
1944年の夏ごろ、19歳で軍隊に入隊し、渥美半島を防衛する通称・怒(いかり)部隊に所属しました。
「穴を掘って自分の逃げ場を作るというもの。挟み撃ちで銃剣で突く。そんなことできるわけがない」(井上さん)
井上さんによると、行っていたのはアメリカ軍が渥美半島に上陸することを想定して水際で挟み撃ちにする「水際撃滅作戦」。掘っていたのは、アメリカ軍を挟み撃ちにするために隠れる穴でした。しかし、十分な装備はなかったと言います。
「弾1つない。そりゃ負けて、戦うどころじゃない。どこかの山の中に逃げて行っちゃおうかと。そんなこと言えないが、そりゃ怖いわな」(井上さん)
戦争末期、軍需工場への爆撃などで、兵器が不足していた日本軍。井上さんが入隊してからの1年間、実弾を使った練習は1度のみで、撃った弾は5発だけでした。
渥美半島に残る戦争遺跡

「兵隊がそんなこと言っちゃいかんけど、戦争は勝てるとは思わなかった」
渥美半島には、海岸にある岩に穴をあけて作られた弾薬庫など、今も100以上の戦争遺跡が残っています。
戦争遺跡に詳しい伊藤厚史さんは、井上さんの証言について「何人ぐらいで、どういう分担で掘削をしていたのかとか、そういう証言がほとんどありませんので、そういったことにちょっとでも証言いただけると非常に貴重なお話が伺えると言えるかなと思います」
「前日の会」は井上さんの話を記録にまとめ、出前授業などで伝えていくとしています。
山田さんは「今、聞ける方がいたら、物証があったらそれを大事に残して、次の世代へやっぱり伝えていく」と語りかけます。
戦後80年。井上さんが今、伝えたいことは…
「何にしても戦争はいかんと思う。やってはいかんと思う本当に。何も得は1つもない」