いよいよ6日開幕する4年に一度の冬の祭典「ミラノ・コルティナオリンピック」。苦難を乗り越え初めて夢舞台の切符を掴んだ2人の地元スキー選手に迫ります。

フリースタイルスキー・ハーフパイプ 岐阜県・山県市出身の桐山菜々穂選手。
オリンピック初出場を決めた29歳です。持ち味は板をつかむ技、グラブを複数種類できること。
「女子の選手だとグラブが苦手な選手とか完成度が低いので減点の少ないランは人よりはできる」(桐山選手)
もともと打ち込んでいたのは、レールやジャンプ台が設置されたコースで技の難度や完成度を競う「スロープスタイル」。
しかし、平昌オリンピックで選考に落ち、ハーフパイプに転向。北京オリンピックでも、代表入りはかないませんでした。
2度の落選を乗り越え…たどり着いた初五輪

「25歳のタイミングで、どういう風に競技やろうかを見つめなおしたというか、やりたかったことを全部やってみようと思って環境を変えた」(桐山選手)
次のミラノがラストチャンスだと見据えスイスで武者修行。海外の選手と切磋琢磨してきました。
雪に乗る時間も増え、新たな技も習得。気づけばオリンピックの切符を手にしていました。
2週間前に訪れたのは、郡上市にある高鷲スノーパーク。
「子供のころは家族4人で来てみんなで滑ったのがスタートで、練習してきた場所でもあるし、スキーを覚えた場所でもあります」(桐山選手)
原点で最終調整をしていた岐阜県・山県市初のオリンピアン。
ようやくたどり着いた舞台で最高の滑りを披露します。
「自分の好きなことをここまで続けさせてもらっているので楽しんでいる姿を見てもらえたらうれしい」(桐山選手)
試練を乗り越え五輪初出場の25歳

ネイルにブレスレット。おしゃれが大好きな25歳。
ターン・エア・そしてスピードと3つのポイントで争われるスキー・モーグルの日本代表。
愛知県・津島市出身の柳本理乃選手。こちらもオリンピック初出場です。
「オリンピックそのもの自体がかっこいい。出ている人が全員かっこいいなって」(柳本選手)
憧れの舞台の切符を掴んだ25歳。しかし、その道のりは順風満帆ではありませんでした。
「こんなに悔しいことが人生の中であるんだなと」(柳本選手)
前回の北京オリンピックは、あと一歩届かず。さらにおととしには―。
「おかしいなとは思っていたんですけど、ずっと体調不良が続いていたり、倦怠感とか睡眠障害が続いていて…」(柳本選手)
めまいなどの症状を起こす脊髄の病気を患い、練習ができない時期もありました。
娘を支える両親 飛躍の舞台裏

そんな柳本選手を近くで支えてきたのがモーグル経験者の両親。父・一浩さんは、練習を毎回撮影。娘の挑戦をいつも近くで見守ってきました。
Q.撮り方はいつもいい感じですか?
「いつもいい感じです」(柳本選手)
「うるさいんですよ。撮り方。位置を変えるとこの位置じゃないって」(父・一浩さん)
「子供のころから練習に連れてきてくれて、今でもビデオを撮ってくれたり、サポートがなかったらここまで来られなかった」(柳本選手)
一方、メンタルを支えるのが母・美和子さん。
「家では他愛もない話をして、アスリートという感じないですし『これ食べたい』と言ったら、作ってあげたりそういう感じです」 (母・美和子さん)
「すごく不安になったとき(母に)『大丈夫かな』と言ったら『大丈夫だよ』と声をかけてくれて、その言葉がすごい支えになっています」(柳本選手)
逆境を跳ね返し、昨シーズンのワールドカップでは3度の表彰台に立ちました。
しかし、去年12月、再び試練が―。
右の鎖骨を骨折。プレートで固定する手術を余儀なくされました。
骨折から再起 憧れの五輪へ

けがから3週間後、柳本選手がいたのは7年前から通う清須市のジム。
回復を早める効果があると言われる低酸素室で汗を流していました。
「まだ動かしにくさはあって、プレートが入っているのでやっぱりまだ違和感はすごく大きいんですけど、筋力がそこまで落ちている感じはないのでちょっとずつ戻していけたら」(柳本選手)
今できることを一歩ずつ。復帰に向けトレーニングをする姿がありました。
雪上にも戻り1月のワールドカップで、試合復帰しトップ10入り。
先週の公開練習では、持ち味である美しいエアも見せた柳本選手。なんとか憧れの舞台・オリンピックに間に合いました。
「4年間すごく努力を続けてきたので、ミラノオリンピックでは出るっていうところが目標じゃなくて、結果も求めて頑張りたい」(柳本選手)
(2026年2月5日放送 メ~テレ「ドデスカ+」より)


