
戦争を体験したピアノが奏でる平和の音色 広島で被爆、東海地方で空襲を受けたピアノも

80年前、東海地方で空襲により激しく傷ついたピアノや、広島で被爆したピアノが、今でも私たちに平和への願いを訴え続けています。

愛知県あま市で12日に開かれたピアノのコンサート。このピアノは80年前の8月6日、広島で被爆した「被爆ピアノ」です。
広島からピアノとともに愛知を訪れたのは、被爆2世で調律師の矢川光則さん(73)です。
「調律師として、被爆者から『被爆ピアノで役に立ってください』と7台託されている。そうなったのは一つの自分の使命だと思う」(矢川さん)
矢川さんが被爆ピアノと最初に出会ったのは1998年。20年以上にわたり全国各地で行われている「被爆ピアノコンサート」にピアノを届けています。
さらに「被爆資料として永久保存しなくてはならない」と、4年前に地元・広島市に「被爆ピアノ資料館」を設立。全国各地から修学旅行生などが訪れています。
資料館には、当時名古屋市内で空襲を受けた「名古屋空襲ピアノ」も保存されています。焼夷弾の攻撃を受け、幅約20cmにわたって塗装がはがれ、木材がむき出しになっています。
また、戦争の傷跡を残すピアノは東海3県にも残っています。
三重県名張市の施設にあるのは「被弾ピアノ」です。
「小学校の講堂の屋根を突き抜け、弾がこの後ろの穴から右側に貫通したと思われる」(名張市教育委員会 山口浩司さん)
1945年6月5日。神戸大空襲の帰りに日本軍の攻撃を受けたアメリカ軍のB29が、名張市に墜落しました。
その4日後、墜落した機体の捜索をしていたはずのアメリカ軍の戦闘機が、墜落現場から10kmほど離れた蔵持小学校を軍需工場と誤って攻撃。児童や教師は無事でしたが…。
ピアノには本来戦闘機を打ち落とすために使われる直径20mmほどの弾丸の跡が残っています。
「我々がいろんなことを語るよりも、ピアノの(弾丸が)貫通している、塗料がはげているところや穴があいているところを生で見てもらうと、特に子どもたちには生の声というかこのピアノが静かに語っている当時のことをダイレクトに伝えられると思います」(山口さん)
音色が伝えるメッセージ

生の声で戦争体験を伝える「人」も年々減っています。
そこで名張市では「被弾ピアノを活用しよう」と、戦後生まれのメンバーでグループを結成。 中学生などに向けたコンサートでは、被弾ピアノの伴奏とともに「名張の戦争」を伝え続けています。
「私たち日本人というのは、戦後80年間、戦争とかかわらずに暮らしてきたが、ニュースで知っている通り、ウクライナやイスラエルでは今現在も殺し合い・戦争が行われています。平和の尊さをかみしめて、それを世界に発信していかないといけない」(山口さん)
12日に愛知県あま市で行われた「被爆ピアノ」のコンサート。約200人が訪れました。
「自分ができる平和運動として、自前のトラックにこのピアノを積んで日本全国に平和の種まきをしている。どのような音がでるのか楽しみにしていただければと思う」(調律師の矢川光則さん)
被爆ピアノを演奏するのは、2年前からコンサートに参加する名古屋出身のピアニスト佐藤奈菜さん。
「たくさんの方の平和への意志を受け継いで、“ピアノが意志”を持って生きているように感じます」(佐藤さん)
「古いと音は変わっていくけれど、調律とかメンテナンスをされているので良い音だなと思って聞いていた」(観客)
「(戦争が)忘れ去られようとしているから、こういう機会をもっともっと増やしてもらうといい」(観客)
「ちょっとやわらかい音色。原爆のことをもっと知りたい」(被爆ピアノを演奏した小学4年生)
「(“被爆ピアノ”が)子どもたちに考えてもらう一歩、きっかけづくりになっていると思う。ピアノというのは音が出る。なおせば音楽でも伝えていくことができる。ピアノも歌ってほしいと思うんですよね」(矢川さん)