川の上に民家!?岡山県にある水門に挟まれた集落の歴史を調査する旅『道との遭遇』
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国100万キロ以上の道を巡ってきた道マニア歴26年の鹿取茂雄さんが、岡山県にある“川の真ん中に佇む謎の集落”を調査します。
川の上に民家がある!?岡山市の謎の集落
鹿取さんと一緒に旅をするのは、一般の男性。2人が訪れたのは、岡山市東区の瀬戸内海側にある水門町。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「川の真ん中に集落がある、すごく変わった場所がある。川を渡る道路も公道で、標識も設置されている」
鹿取さんが言うその場所は航空写真で偶然見つけたそうで、地図で確認すると川の真ん中に道が通り、そこに数軒の民家が存在。その姿は、まるで中洲のよう。浮かぶ小島に民家が建っている景観をしています。
不思議に思った鹿取さんは1年半前、現地で調査したところ、民家がそこにできた理由が大変興味深かったそうで、番組でぜひ紹介したいとのこと。
水門が鍵 水門町が歩んできた歴史とは
2人はさっそく、目的の場所へ。東岸から川の上の集落へ向かうと、まずは水門がお出迎え。橋を渡ると、川の上の集落には立派なお屋敷や蔵があり、厳かな雰囲気が漂う中にも生活感があります。
集落を抜けると西岸側にも水門があり、銘板に「大水門橋」と書かれた橋が架かっています。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「水門だけ見たら最近のイメージがあるが、実は何代も付け替えられている。ここに水門を造ったことによって、干拓(かんたく)ができた」
海中に堤防を造り、潮の満ち引きを利用して排水したことで陸地にしたこの干拓を利用し、「大地主がここに住んで、水門を管理していた」と鹿取さん。
今から340年ほど前の江戸時代、新田開発に力を注いでいた岡山藩主の池田光政(いけだみつまさ)が両岸の干拓に着手。陸地ができたあと、海水の逆流を防ぐためにここに水門を建設し、その際に土地を造り、管理する人間が住むことになったそう。
今ある水門は昭和に造りかえられたもので、現在は岡山県が管理して住民の生活を守っています。
この集落に一番古くから住んでおり、水門を管理してきたという方の話によると、水運が盛んだった明治時代まではこの場所から船を使って移動したり物を運んでいたそう。
その後、車社会が発展していき、集落を抜ける道も昭和40年代に拡幅工事が行われ、今の広さになったとのことです。
10月15日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より