
“タブー”のロシア音楽を演奏 日本人指揮者が挑むワケ かつて日本も敵国の音楽排除 #戦争の記憶

ウクライナでオーケストラを率いてきた日本人指揮者。演奏するのは“タブー”となったロシアの音楽です。日本人指揮者が挑むワケとは…。

今年5月、神奈川県横浜市にある「横浜みなとみらいホール」で行われた演奏会。
民族衣装を着て、指揮をする髙谷光信さん(48)は、ウクライナ北部の都市・チェルニヒウにある楽団で常任指揮者を務めています。
髙谷さん:
「ロシアによるウクライナ侵攻があり、戦争状態ですね。僕たちの仲間は楽器を銃に持ち替えて戦っています」

ロシアによるウクライナ侵攻から3年。衝突は今も続いています。ウクライナで長年指揮をしてきた髙谷さんが、今、演奏するのは“敵”となったロシアの曲です。
髙谷さん:
「ロシア作品を指揮することは、どんどん厳しくなっています。今、日本に避難民で来ている人たちも聴きたくないって言うんだよ」
タブーとなったロシア音楽。そこに立ち向かうワケとは…。

髙谷さんにとって、ウクライナは第2の故郷です。
髙谷さん:
「ウクライナといえば、見渡す限りひまわり畑。そのひまわり畑が見切れるところに、地平線が見えるんです。大好きだった。その景色は」
日本の音楽大学を卒業後、ウクライナの音楽院へ。20年以上現地で指揮者として活動していました。
日本に帰国していた際、ロシアがウクライナに侵攻。戦地で命を落とした仲間もいたといいます。

日本でできる支援を考え、チャリティーコンサートや現状を伝える講演会を始めました。
髙谷さん:
「戦争が始まったとき私は日本にいました。テレビのニュースで、私の大好きなウクライナが攻撃されて、めちゃくちゃになっていました」
この日は大阪府にある小学校で、講演会。
髙谷さん:
「戦争というのはすごく怖いことです。友達と遊ぶ自由、勉強をする時間、おいしいものを食べる時間、家族と一緒に過ごす時間、将来の夢に向かって生きている。それができるのは今みんなが戦争のない平和な国に住んでいるからです」
児童:
「日本では今、平和のなかで音楽ができるけど、ウクライナではできなくて、ちょっと悲しいと思いました」
「ウクライナとロシアが仲直りして、平和になればいい」

今年4月、訪ねたのは、夏にコンサートを控えた社会人オーケストラの南山大学OBOG管弦楽団。演奏するのは、日本でも敬遠されてきたロシアの曲です。
髙谷さん:
「最も悲しいことは、ウクライナのメンバーはロシアの作品を演奏しません。ロシアのメンバーはウクライナの作品を演奏しません。これが今起こっている一番の悲劇です。でもこれだけは言っておきます。チャイコフスキーやラフマニノフのすばらしさを教えてくれたのはウクライナの彼らです。だから今から一緒に音楽をしましょう。彼らが教えてくれたすばらしいものをみなさんで共有しましょう」
戦争によって、音楽まで排除されていることに疑問を持った髙谷さん。ロシア音楽を演奏し続けます。

しかし、日本に暮らすウクライナ避難民からは、厳しい言葉をかけられたことも…。
髙谷さん:
「自分の街が破壊されていくのが脳裏によみがえってしまって聴いていられない。どうしてミツはウクライナの音楽協会までやっているのに、ウクライナであんなに長くやっているのに、なんでロシアの作品を演奏するんだろう。『もう演奏会に聴きに行かないよ』と言われます。これはジレンマですね」

実際、髙谷さんが指揮するオーケストラのなかにも、ロシアの曲を演奏することにためらいを感じる人もいました。
楽団員:
「ウクライナ侵攻が始まったころは、今のロシア・ウクライナの状況で演奏していいのかって話は出た」
「選曲とか決まったときは、ロシアの曲やるんだと思うこともあった。ラフマニノフの音楽はすごく好きになったので、複雑な気持ちにはなりますね」
ぬぐい切れないロシア音楽を演奏することへの抵抗感。

実は、同じような状況は、80年前の日本でも起きていました。
都留文科大学非常勤講師 戸ノ下達也 氏:
「アメリカとイギリスと戦争になったから、その国由来の“敵国”の文化を禁止する」

太平洋戦争中、国民の敵対心をあおり、“敵国”のレコードを回収するなど音楽が規制されました。当時の音楽雑誌には、演奏を禁止されたレコードの一覧が。
戸ノ下 氏:
「80年前にアメリカ・イギリス由来の音楽作品のレコードを禁止したという事実と、2020年代の今の状況というのは同じことが起きていると思います」

ウクライナにいる仲間は、髙谷さんの活動をどう見ているのでしょうか。
この日、髙谷さんが電話していたのは20年来の友人、指揮者のアンドレイさん。祖国を守るため、戦地にも向かいました。
髙谷さん:「元気な顔を見られてうれしいよ。早く戦争が終わって、また演奏会ができることを望んでいるから」
アンドレイさん:「このなかでも希望は捨てない。ミツはウクライナ人だね」

かつて、2人は一緒にロシアの音楽を演奏していました。しかし、今は…。
アンドレイさん:
「ロシア音楽に対して、悪いイメージはないけど、戦争をやっているから、その気分にはなれない。戦争が終わったら演奏するよ」
髙谷さんが今もロシア音楽を演奏していることをアンドレイさんはどう思っているのか…。
アンドレイさん:
「これは個人の問題であり、彼の判断することだと思うよ」
それ以上は語ろうとしませんでした。

髙谷さんとともに4か月間、ロシア音楽を演奏してきた楽団員。それぞれがどうロシア音楽と向き合えばいいのか、答えを見つけていきました。
楽団員:
「ロシアの音楽をどうやって作っていくのかっていうのを理解して、音楽ができているんじゃないかと思います」
「“音楽は世界を救える”とおっしゃっていて、そういった世界に近づいていけたらいいなと思います」

8月10日、名古屋で行われたコンサート。戦時中のウクライナでは演奏できない、ロシア音楽を奏でます。曲目は、ロシアの作曲家・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。
髙谷さん:
「音楽に国境はないです。言葉を越えて憎しみ合う人々が仲良くなるのも音楽の力。それはロシアであっても、ウクライナであっても、いずれ時間がかかっても、彼らが演奏したいと思うまで、寄り添おうと思っているから」
お客さん:
「ロシアとかウクライナとか日本とか関係なく、音楽のすばらしさを感じました」
「ロシアの音楽自体は すばらしいものが多いと今回思ったので、国と国の平和をつくるためにも、音楽の力を借りてやっていくのはすごく大事なことなんじゃないかなと思いました」

再びウクライナでロシア音楽を演奏できる日まで。髙谷さんは音楽の力を信じてタクトを振り続けます。