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「死体の一部・肉片をまたいで姉を捜索」 『熱田空襲』から80年 体験者が生々しい記憶語り継ぐ

06.09(月)18:47
80年前、1945年6月9日にあった「熱田空襲」で姉を亡くした女性が、当時の体験を語りました。
伊藤米子さん:
「鉄骨が『あめ』のように、ジェットコースーターの(レールの)ようにゆがんでいます。そこで目にしたのは脚一本、ももから指先まで、上の方を見上げると引っかかっているんです」
愛知県大府市の至学館大学で「熱田空襲」について語るのは、伊藤米子さん(91)です。伊藤さんは至学館大学の前身の「中京高等女学校」の出身で、戦争の記憶を語り継ごうと、学生ら約280人を前に特別講義を行いました。
伊藤米子さん:
「(覚えているのは)死体の一部・肉片をまたいで、工場の中で(姉を)探した記憶です。6日目の朝、照子(姉)は見つかったんですね。(軍需工場の横を流れる堀川に浮ぶ)いかだの下から出てまいりました」
伊藤さんの姉の石原照子さんは当時13歳。熱田区の軍需工場で学徒動員中に熱田空襲に遭い、亡くなりました。
伊藤米子さん:
「ちょうど歯形の部分が親元に帰ってきました。本当に不幸中の幸いだった」
伊藤さんは後輩たちに世界平和を呼びかけました。
伊藤米子さん:
「壊滅的な被害のあの礎の上に今日の平和があります。この平和の尊さを。世界が恒久平和になりますように」
学生:
「これから私たちが伝えていく立場になるので役目を果たせるように行動したい」