
現役91歳の映像作家 “今”を撮り続けて60年「四日市の記憶」を未来へ紡ぐ飽くなき情熱

今でこそ誰もが映像を撮影・編集してネットで公開するようになりましたが、半世紀以上映像で「今」を伝え続ける人がいます。御年91歳。その取り組みに密着しました。
【写真を見る】現役91歳の映像作家 “今”を撮り続けて60年「四日市の記憶」を未来へ紡ぐ飽くなき情熱
四日市市の歴史資料を展示する、四日市市立博物館。
その地下1階に、「ある部屋」が。
(四日市市立博物館 学芸員 森拓也さん(71))「ここが私の部屋。というか私以外誰も使わない汚い部屋ですけど」
古いビデオカメラに映写機、そしてビデオテープが所狭しと並んでいます。
(学芸員 森拓也さん)「一般の方からもらったビデオテープ。赤い印がついているのが、DVD化が終わっているもの。古い映像っていうのはとても貴重なものなので」
学芸員の森拓也さんは、市民が撮影したビデオテープや8ミリフィルムなどの映像素材を、デジタルアーカイブにして上映する仕事をしています。中には戦前の映像も。
“電線を持ち上げる” 当時を知る貴重な映像
(学芸員 森拓也さん)「ここに出てくるやつは、ほとんど戦災で焼失している。当時のことを知る本当に貴重な資料。写真は残っているけれども、こういう動きやこんな大きさなんだっていうのは、映像でないと知れないからとても貴重」
昔の映像には、今とは違う当時の暮らしぶりがうかがえます。
(学芸員 森拓也さん)「左側を見ると(棒で)電線を持ち上げている。持ち上げるための棒。いま(道を)横切っている電線は、少ないけど昔は普通にあった。それを全部上げていた」
電線が今より低い場所にあった時代。大入道が道を通る際にこうして持ち上げていました。自らも長く鳥羽水族館で記録撮影をしていた森さんは、この映像を提供した人が「師匠」だといいます。
現役の映像作家 91歳の師匠
(学芸員 森拓也さん(71))「私の師匠です」
門脇篤さん91歳。
いまも四日市市のケーブルテレビで、月に2本映像作品を出している現役の映像作家です。
自宅には、プロと同じレベルの編集設備が。映像編集や字幕の作成も一人で行なっています。そして、何より大切にしているのが、過去の映像です。
(門脇篤さん(91))「映像を残すというのはとにかく大事なこと。30年・50年の後に昔の風景が見えるのは、私らはすごくうれしい。大半の人は、『昔(の町)はこんなのだった』って感激してくれると思う。そういう意味で残していきたい」
(映像ナレーション)「これから1号線を名古屋方面へ向かいます。まず諏訪新道です」
66年前の1959年、約5000人の犠牲者を出した伊勢湾台風。これは台風が去った翌日の三重県内の映像です。
四日市の「災害」 当時の映像を後世に
(門脇篤さん(91))「(撮ったのは)近鉄電車の方で、出勤しないといけないけど、電車が動かなくて。スクーターで出かけているとすごくひどいことになっているので、道中カメラで写しながら行こうとしたけど行けなかった」
水に浸かった街を歩く人々。倒れ込む電柱など、当時の様子がありありと映し出されています。災害は他にも。
(映像ナレーション)「除雪車のない近鉄電車。スロー運転でダイヤは大幅に乱れています」
四日市市で観測史上最大の36cmの積雪を記録した、1995年12月の大雪。
(映像ナレーション)「除雪の備えのない四日市。四日市市始まって以来の記録破りの大雪で、市内は完全な交通まひ」
そして2000年の東海豪雨でも、水に浸かった四日市市内の様子を自分で撮影しました。
(門脇篤さん(91))「昔こんなことがあったというのを、後世に伝えていきたい。のほほんとした町ではないと。最近特に言いますもんね、東南海大地震とか。昔の映像を見て、この町もそうなるって思ってほしい」
映像を撮り続けて60年
そして何気ない日常の映像も。
(門脇篤さん(91))「(映像をくれた人の中には)学校の先生もいて。昭和30年代の小学生の勉強中や昔の遠足とかの映像。そんなのなかなか珍しいわな。いろんな人に見てほしいから、なるべく(博物館に提供している)」
門脇さんが映像を撮るようになったのは、長男が誕生した約60年前。工具店を営む傍ら、愛好家で作る『四日市ビデオ倶楽部』に入り、この20年会長を務めてきました。
(インタビューを受ける人)「3年前まで、『あすなろ鉄道』を運転させてもらっていて」
(門脇篤さん(91))「スピードは?」
(インタビューを受ける人)「最高でだいたい40キロぐらい」
四日市市内の様々な出来事を撮影しては、地元ケーブルテレビの「発信!市民チャンネル」というコーナーで月に2回映像を伝えてきました。
「ええよ、撮ったるよ」好きだからできる
最新の映像機器にも目がありません。これは手ブレをほぼ完全になくす超小型のカメラ。
(門脇篤さん(91))「これ(小型カメラ)に一本足を付けて、高い所から撮ると角度が違うので面白いかなと時々したり、逆に足元まで下ろして歩いたりね。難儀してやっと使えるようになってきた」
今でも自ら車を運転して、撮影に出かけます。
(門脇篤さん(91))
「好きだからできるのかな」
Q:これから何年ぐらい映像を作りたい?
「計画は立てられない。1か月~2か月先のことも『ええよ、撮ったるよ』って言った後、最後に『生きとったらな』と。それを必ず言います」
人々の営みや街の歴史を映像で未来へ引き継いでいく。門脇さんはカメラ片手に今日も街に出ます。