
事件から26年…父と子の戦い 被害者の夫 高羽悟さんが語る思い

名古屋市西区で発生した殺人事件で、妻の奈美子さんを亡くされた高羽悟さんが11月3日の「キャッチ!」に生出演。逮捕の一報から3日、心境を明かしました。
「犯人を現場に立ち会わせる」26年間、残し続けた事件現場

1999年11月13日、名古屋市西区稲生町のアパートの玄関先で、高羽奈美子さんが刃物で襲われ、殺害されました。「いつか犯人を現場に立ち会わせるため」悟さんは現場となったアパートを、26年もの間借り続けてきました。
―容疑者は「事件の報道も見られなかった」「捕まるのが嫌だった」と話しているということですが、高羽さんはどんな思いでこの現場を残されていたんでしょうか。
高羽 悟さん:
「最初、時効がありましたので、自分がやれること、遺族としてやれるということは、“事件を風化させない”。せっかく犯人の血が玄関にあるのでしたら、それをやっぱりそのままもって、せめて15年。それが犯人にプレッシャーをかけられるのではないかと思って、15年はもとうと思いました。その後、時効が撤廃されてしまって、11年目の時は、それからどうしようかなと思ったんですが、その頃から、DNAを使った捜査が徐々に話題になってきました。私だけじゃなくて、ぜひ全国のDNAが残っている事件に関して、なんとかそれをうまく活用して、捜査できないかなというところのアピールに現場が使えたらなということで、保存するということにしました」
“犯人のプレッシャーになれば…”そんな思いで、現場を残し続けた悟さん。埼玉県警捜査一課で数々の事件を解決してきた佐々木成三さんは、その行動が捜査においても、かなり大きな利点になったと述べます。なかでも注目したのは、警察によるDNA型の鑑定、逮捕、現場検証に至るまでのスピード感。
佐々木成三さん:
「刑事は“必ず犯人を立ち会わせたい”という、高羽さんの気持ちを全員が知っていて、(容疑者を)逮捕して、現場検証させた日付というのが、僕はすごい早いと思うんです。本来だったら(容疑者の)供述を固めてから、現場検証をするんですが、この“立ち会わせたい”という思いを刑事は早く実らせたいという思いがあり、今回の現場検証につながったと思いますね。高羽さんが26年間ずっと発信し続けた思いと現場が残っていたということは、容疑者には必ずプレッシャーになっていたと思うんです。これが逮捕につながったと思いますし、本当にこの執念が実ったというような逮捕だと感じます」
―ご自身の思いが逮捕につながったという話を聞かれて、今、高羽さん、どのように思われますか?
高羽 悟さん:
「本当に我々にとってはもう(犯人は)透明人間みたいで。DNAから(犯人は)女性とは聞いていましたけども、“本当に女性でこんなひどいことができるのか”というような現場でしたので。我々が抵抗できるのは、もう本当に枕を高くして寝かさないぞという、その一心でやってきました」
奈美子さんの27回忌、息子の本音

今月2日は、奈美子さんの27回忌。容疑者が逮捕された今、悟さんは捜査について“見守りたい”と語ります。その理由について、「残念ながら、DNAから逮捕はしましたけれども、動機などは分かっていません。ちゃんとした報告できるのは、まだ先かなという思いでおります」と明かしました。
事件当時、わずか2歳だった息子・高羽航平さんは28歳に。息子への思い、そして航平さんの父に対する思いを聞きました。
―事件当時、息子さんは2歳。息子さんに対して、どうやって向き合っていこうなど気持ちの整理はすぐできたのでしょうか?
高羽 悟さん:
「家には私の父親と母親がいました。私が火曜・水曜が休みで、土日はいないということで、土日は妹や妹の姪っ子などが育児を手伝ってくれました、私はできなかったもんですが。ただ、事件に対しては、(息子を)幼い頃から取材に連れ回していましたので、その中で(事件について)少しずつ理解はしてくれたのではないかなと思います。けれども、私も結構航平を無理やり連れていったので、彼は自宅で遊びたかったのかなという思いもあり、ちょっと無理させたかなという反省があります」
一緒にビラ配りなどの運動もされてきた航平さん。父・悟さんと活動を共にするなかで、“ある思い”を抱えていました。
高羽 航平さん:
「父親と同じくらいの年齢の人間が、犯人像として浮かび上がっていたと思うので、(父の活動を)引き継がなきゃというより、どこかで僕が終止符というか、それを止められる、“もう大丈夫”って言ってあげられるのは、僕しかいないんじゃないかなと思っていたので。それを言い出さなくてよかったのは、すごくポジティブなことだと思いました」
容疑者逮捕を受け、そっと明かされた息子の本音。悟さんはどのように受け取ったのでしょうか。
高羽 悟さん:
「もちろん、航平にこういう活動を続けさせる気は、さらさらなかったので、彼には彼の人生があるので。結婚もしましたし、奥さんとの生活を大事にしてもらえばよかったんですけども。色々、彼を苦しめた面もあったのかなと思います」
未解決事件への思い「科学的捜査を取り入れて」

殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」の代表幹事を務め、時効撤廃にも尽力してきた悟さん。今回の逮捕は、未解決事件の遺族も勇気づけています。
2004年に発生した豊明市一家殺害事件の遺族・天海としさんは、「諦めかけていたが、光が差して、次は自分かなと思えた。残された人の生きる力になったと思う」とコメントを寄せました。
―こうした他遺族の方々の言葉を聞いてどう思われますか?
高羽 悟さん:
「長期の未解決事件の犯人が逮捕された時、やっぱり自分もそういうふうに素直に思いました。私の事件で全国の未解決事件の遺族が、“自分のところはまだ15年だからもう少し頑張ろう”とか思っていただけるなら、本当にやって良かったなと思います」

元埼玉県警捜査一課の佐々木成三さんは、警察に対する率直な思いを聞きました。
佐々木成三さん:
「(容疑者逮捕まで)26年という時間がかかってしまった。これは警察もかなりつらかったと思うんです。そのなかで、警察は担当も変わらなきゃいけない。高羽さんとのコミュニケーションを取れなくなった警察も多くいるなかで、警察に対して何か思うことはありますか?」
高羽 悟さん:
「それぞれ人と人との関係は、みんな一生懸命やってくれたと思います。しかし、じゃあ“組織としてちゃんとやれていたか”ということは、私も分からないですし、調べようがありません。ただもう、現場の刑事さんは、本当に皆さん一生懸命だったと思います。(事件が)解決して思うのは、“能力のある刑事さんなら解決したけど、たまたま普通の刑事さんだったら解決できなかった”ということがあってはならないと思います。あとは、科学的捜査のこと。例えばDNAで言えば、もっと遺伝子情報を使えば、もっと似た似顔絵ができたはず。私は、今でも(逮捕された容疑者と)似顔絵は似てないと思っています。それがやっぱり事件を長引かせたのではないかなと思ったりしますので、そのあたりは“マンパワー”に頼るんじゃなくて、“科学的捜査”を取り入れてもらいたいなというふうに思います」
男手ひとつで航平さんを育てながら、事件の解決を願い続けてきた悟さん。父と子の長い戦いは、ようやくひとつの区切りを迎えました。





