
入り口には「防毒マスク」「薬瓶」も…今年発見された“巨大地下壕”に潜入 なんのために造られた?【戦後80年】

物事の核心に迫る大石が聞く。今回は戦後80年の今年になって初めて発見された、旧陸軍の地下壕です。誰にも知られず朽ちようとしていた戦争の遺構。それが、物語るものとは…
【写真を見る】入り口には「防毒マスク」「薬瓶」も…今年発見された“巨大地下壕”に潜入 なんのために造られた?【戦後80年】
岐阜県各務原市。“ある山”の中腹にぽっかりと空いた穴…巨大な地下壕が存在していました。
戦後80年を迎えることし、新たに見つかった戦争の遺構。一体、だれが何のために作ったものなのか。初めてテレビカメラが入りました。
壕の近くに住み、周辺の山の持ち主でもある、坂井荘二さん85歳。
終戦が近くなった頃、自宅の離れや周辺の家に大勢の兵隊が泊まりこんでいたと言います。
(坂井荘二さん)
「戦前の僕の生まれた家やね。兵隊が泊まったのが、ここの部屋です。8畳2間で兵隊が駐屯していた。兵隊が家の前に整列して軍歌を歌っていた。上官の言うことを聞いたりしていた。朝晩やっていたと思う」
周辺には荷物を運び入れるためか、トロッコの線路が敷かれていたと言います。坂井さんの案内で、問題の場所を目指すことに。
(坂井さん)
「ここにずっとトロッコが敷いてあった。昔からの公道ですけど軍隊は線路を敷いて、そこの地下壕へ直結」
坂井さんは戦争末期幼かったこともあって軍が何をしていたのか、はっきりとは知りませんでした。
縦80㎝、横1.2mほどの穴の中には…
東海地方の戦争遺構を研究している山田富久さん。過去、愛知県豊田市の山中にも戦争末期陸軍が掘った地下壕を発見。
山田さんは、各務原にも陸軍が複数の地下濠を作っていたという情報をもとに調査を進め、この山の奥に地下壕の存在を初めて確認したのです。
斜面に空いた縦80センチ、横1.2メートルほどの穴。
(山田富久さん)
「立っては降りられないくらい急傾斜なので、竹にロープを設置するので登山のように降りてもらう」
傾斜45度ほどの急斜面を、約20メートル降りていくと…
(大石邦彦アンカーマン)
「思った以上に中は広いです。巨大な壕」
広がっていたのは、高さ・幅ともに約3メートルほどの空間。ごつごつとした岩が行く手を阻み自然の洞窟のようですが、山田さんの調査で全長 約400メートル、漢字の「目」のような構造をした地下壕だと分かりました。
地下壕を進むとコンクリート製のトンネルが
ライトで照らしながら進むと…。
(大石)
「今までは洞窟かと思っていたが、人が掘ったトンネルだったんだと分かりますね」
50メートルほど進んだあたりに突如現れたのは、コンクリート製のトンネル。
(山田さん)
「陸軍の19502部隊が掘った。当時は(終戦間際で)コンクリートもなくて、陸軍の施設であってもコンクリートを使えない。ここは基本的に全部素掘りです。ここと、もう1か所だけコンクリートが十数メートル打ってある」
さらに、こんなものも…
(山田さん)
「枕木です。さっきのトロッコが(壕の)外と言っていたけれど、きょう(壕の)中にも入っていたことが発見できた」
(大石)
「全部つながっているということ?」
(山田さん)
「新発見。穴を掘る時の土砂を搬出するためのトロッコを通していたことが分かった」
(大石)
「この壕はどんな目的で作られたんですか?」
(山田さん)
「そこが一番知りたいところですが正直言うと分からない。たぶん各務原飛行場との関係で(陸軍の)重要な部分が、ここに逃げると。民間人ではなく軍に関係している所が疎開工場としてここに逃げて、さらに戦うために急造したもの。みんなが逃げるための防空壕ではないんです。残念ながら」
国立公文書館に保管されている旧陸軍の記録には、終戦前の1945年4月、地下施設を作る専門の部隊が臨時で編成された事実が残されています。
各務原市の聞き取り調査では「19502」という番号の部隊が市内で地下壕を掘っていたことが分かっていて、陸軍の記録にもこの部隊名が記されています。
戦時中、陸軍の飛行場があった各務原市。山田さんは、その司令部や通信部隊が空襲から逃れるために地下壕が作られたと考えていますが、文献には一切残されていません。
壕の入り口周辺には…「防毒マスク」
さらに奥へ進むと…途中で放棄されたのか、岩に刺さったままの“削岩機”の先端部分が。
(山田さん)
「削岩機で穴を開けるんですね。穴を開けてそこに火薬を詰め込んで爆発させる」
全国で無差別爆撃が始まり、敗色濃厚だった戦争末期。それでも軍が戦争を続けようとしていたことを伝える遺構は80年の間、忘れ去られていました。
(大石)
「民間人が多く犠牲になる中で、軍人はこういったものを作っていた。むなしいですね、戦争と言うのは…」
壕の入り口周辺には、陸軍が駐屯していた証も。
(大石)
「今何が見つかりました?」
(山田さん)
「防毒マスクですね。ここから管が伸びていて顔を覆って、ここにフィルターがあって毒素を除去する」
ほかにも、陸軍のシンボルだった星のマークが入った器や、薬瓶などが見つかりました。その兵士が所属していたのが陸軍の19502部隊。
地元に住む坂井さんは…
(坂井さん)
「防空壕は戦争が始まる頃から作って、地域の住民は『何かあれば逃げろ』『あそこに入れ』と作ってくれたのかなと思っていた。なんてばかことをしたんやろう。だけど、それに携わった兵隊も気の毒。上の命令で動いたと思う」
多くの犠牲者を出しながらも続けられた戦争。人知れず埋もれようとしている地下壕は、その虚しさと悲惨さを今に伝えています。