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母国ウクライナを離れ、名古屋で生きる避難民 ロシアのウクライナ侵攻から3年が経過 日本で直面する現実
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今年で戦後80年です。
先の大戦が終結した1945年から80年が経過した現在も、世界中の至るところで争いが絶えず起きています。
まさに今、戦争の影響が生活に及んでいる人たちを取材しました。
ウクライナ料理店の20歳の料理人・オレフさん
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昨年5月、名古屋市内にオープンしたウクライナ料理店「ジート」。
大人から子どもまで、笑顔で料理を楽しめるお店です。
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来店客:
「ウクライナのワインです。初めて飲みました。オレンジピール(オレンジの果皮を乾燥させたもの)の香りがして、すごい美味しかった」
来店客:
「(料理は)すごく新鮮な感じがして、おいしいです。日本人の口にも合います」
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この店で働いているのは、戦禍を逃れてウクライナから避難してきた人たち。
モクリツキー・オレフさん:
「日本人がウクライナ料理を食べている姿を見るのが好きです」
店がオープンした時からシェフとして働いているモクリツキー・オレフさん(20)は、「自分で稼いだお金で生活したい」と話しています。
しかし、彼は厳しい現実に直面しています。
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川口・プリス・リュドミラ理事長:
「夜はいま電話あって。この日のディナーの予約は3人……」
店のオーナーである日本ウクライナ文化協会の川口・プリス・リュドミラ理事長は頭を悩ませています。
店の売上だけでは家賃や人件費などの支出を賄うことができず、地元企業の支援を受けてなんとかやりくりする日々。
川口・プリス・リュドミラ理事長:
「お客さん来ないと売上にならない。人件費払えなくなるから……。(ロシアがウクライナに侵攻した当時の)2022年と比べたら、ウクライナ避難民を雇う会社が少なくなってきたから……。 今は『ここを辞めて、好きなように仕事探しなさい』も言えないから……。できるだけここ(お店)を続けたい」
ウクライナ避難民が向かい合う現実。
日本財団をはじめとしたウクライナ避難民への生活費の支援は、来年度から順次、終了あるいは縮小することが決まっています。
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モクリツキー・オレフさん:
「遅かれ早かれ日本の支援が終わり、自分の力だけで生活していかなければならない。だから、できるだけ早く自分で働いて、稼ぐことに慣れておいた方がいい……」
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日本の大学に通うため、お金を貯めているというオレフさん。
記者:
「オレフさんの将来の夢は?」
モクリツキー・オレフさん:
「秘密です……全部シェフ。たぶん全部じゃない、でも……」
記者:
「シェフになるために大学を目指す?」
モクリツキー・オレフさん:
「はい」
母国ウクライナから避難してきて約2年。
オレフさんは、これからも日本での生活を見据えています――。
名古屋市役所・国際交流課に勤務するテチアナさん
ロシアによるウクライナへの侵攻からまもなく3年。
ウクライナと日本の環境は大きく異なります。
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テチアナ・サムソノバさん:
「このリボンをみなさんお願いします。リボンを30センチに1本ずつ切ってください、お願いします」
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名古屋市の職員として働く国際交流課のテチアナ・サムソノバさん(30)。
ウクライナから日本に避難してきた人たちのひとりです。
私たちがテチアナさんと出会ったのは、およそ2年半前の2022年9月。
テチアナ・サムソノバさん:
「オデーサを出た時(22年4月)にはすごく危険な状況で、毎日のようにミサイルが落とされていました」
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テチアナさんが住んでいたのは、ウクライナ南部の港町オデーサ。
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1日に何度も空襲警報が鳴り、テチアナさんはアパートの地下室などに避難していたといいます。
そこで、空襲による危険を避け、名古屋に住む友人を頼りに日本にやってきました。
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日本にやってきた22年9月当時。
名古屋市の職員として働き始めた当時、テチアナさんは職場では英語を中心にやりとりをしていましたが……。
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仕事が終わったら、日本語を毎日、猛勉強しています。
テチアナ・サムソノバさん:
「言葉の壁を乗り越え、懸け橋になりたい」
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記者:
「特に好きな漢字はありますか?」
テチアナ・サムソノバさん:
「好きな漢字は……『会議』です」
記者:
「あの『会議』ですよね」
テチアナ・サムソノバさん:
「打ち合わせの『会議』」
記者:
「なんで『会議』が好き?(笑)」
テチアナ・サムソノバさん:
「分からないです(笑)。(仕事で)よく書きますので好きです。よく書きますから」
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名古屋市 国際交流課 担当課長・中神勇樹さん:
「(テチアナさんには)すごく助けられています。言葉の問題はもちろん、避難してきているウクライナの人たちの気持ちもすごくよく分かっていますよね」
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母国ウクライナから避難し、今は名古屋市役所で働くテチアナさん。
テチアナ・サムソノバさん:
「市営住宅に入居する人のための規則です。最初は英語しか(表記が)なかったので、ウクライナ語も加えました」
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テチアナさんは今、ウクライナ人と日本人との交流をサポートしています。
2月10日に栄・久屋大通パークのシバフヒロバで開催されたバザー「ヒサヤマーケット」に、日本ウクライナ文化協会はマーケットを出店しました。テチアナさんも避難民がグッズを販売することを手伝いました
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来店客:
「ウクライナの刺繍ですか?」
テチアナ・サムソノバさん:
「ウクライナの刺繍です。伝統的な刺繍で、だいたいみんな学校で勉強して」
来店客:
「ありがとうございます」
テチアナ・サムソノバさん:
「よろしければご覧になってください」
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来店客:
「買うのもいいけど、なんかこうやってお話がすごい楽しかったから、ちょっとずつ交流できたら楽しいなって思いました。本当にね、戦争が終息してこれから国交が正常化して仲良くなれるといいですよね。国同士も」
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名古屋市の職員として働き始めて2年ほど。
テチアナさんが日本で抱いた感謝の思い。テチアナさんを支えているのは、これまでに日本で受けた様々な支援への感謝の思いです。
テチアナ・サムソノバさん:
「次は、困っている人を自分が助けたい。最初に日本に来た時は日本語は分からないし、初めて日本に来たのでとても大変でした。でも、親切な人たちからたくさん支援してもらって、あったかい気持ちになりましたので、本当に私も役に立ちたいです。恩返しをしたいです」
その思いを一心に抱き、昨年5月に愛知県からある場所へ向かいました
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能登半島地震の被災地となった石川県・穴水町で、ウクライナ発祥の伝統料理「ボルシチ」の炊き出しです。
国を超えて出会った人々へ料理を振る舞い、「感謝の思い」を返します。
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テチアナ・サムソノバさん:
「将来は、現在の仕事と同じような仕事を続けたい。日本とウクライナの架け橋になりたいと思います」