
“避難の家族会議”開いたすぐ後に…住宅が押し潰され3人が死亡した土砂崩れから1年 遺族が語る後悔と教訓


愛知県蒲郡市で3人が亡くなった土砂崩れから1年が経ちました。両親と弟を亡くした鋤柄尚美さんは、生き残った自分に後悔を抱えながらも、“早めの行動”の大切さを伝えようとしています。
■両親と弟の3人が犠牲に…
土砂崩れのあった現場で、手を合わせる鋤柄尚美(48)さん。1年前、同居する家族5人が土砂に巻き込まれました。

鋤柄さん: 「寝る前でスマホを少し触っていたんですけれど、逃げようとした瞬間に屋根に押しつぶされてしまった。本当に一瞬でした」 2024年8月27日午後10時すぎ、蒲郡市竹谷町大久古で、鋤柄さんの木造2階建ての自宅を襲った土砂崩れ。

懸命の救助活動もかなわず、鋤柄さんの両親・定夫さん(当時78)と真知子さん(当時70)、弟の求さん(当時32)の3人が死亡。鋤柄さんと妹も、ケガをしました。 鋤柄さん: 「後ろに1秒でも身をひかなかったら、完全に屋根に押しつぶされていたので」
■生き残った鋤柄さんの「後悔」
県や市などの調査では、「大量の水によって、土砂が土石流の形で高速で斜面を流れた」と結論づけられた一方、大量の水の発生源については不明。また現場は、ハザードマップでは土砂災害警戒区域の外で、当時は大雨警報や土砂災害警戒情報も発表されていませんでした。 生き残った鋤柄さんの胸には、ある後悔があります。

鋤柄さん: 「私たちも当日家族会議をして、どうするかと話し合っていたんですけれど、台風が来るのが3日後だったので、『一晩様子を見てから、明日の朝の状況で(行政などに)言おうか』と結論が出て」 土砂崩れがあった日の夜、鋤柄家では家族会議を開き、避難の必要性について話し合っていたといいます。 鋤柄さん: 「山の状態がおかしくなっていたのも分かったので、その時点で自身の“カン”みたいなものを信じて、早めに行動することが大切だったなと」

ハザードマップなどの情報には限界があり、この地で生活する住民だからこそ気付く異変を大切に。鋤柄さんが伝えたい教訓です。 鋤柄さん: 「あの時、逃げる勇気が必要でした。誰の身に降りかかることかも分からない。うち(のケース)があったからこそ、『逃げよう』と思ってくださる方たちがいれば、(亡くなった)3人も浮かばれるのかなと」
■両親たちが守ってきたミカン畑を…
1年が経った今も、現場からは遺品が見つかっています。家を守っていた、父の写真が出てきました。

鋤柄さん: 「道路の向こう側から出てきたもので、きれいにしないとなと思いながら」 2025年8月、鋤柄さんは自宅があった場所の近くの空き家を借りて住み始めました。両親たちと汗を流してきた、家業のミカン畑を守るためです。

鋤柄さん: 「去年は父母のミカンだったので『おいしい』って言われたんですけど、今年は完全に私のミカンなので、おいしくなるかなって」 家族で受け継ぐミカンの成長に欠かせない水、その家族の命を奪うきっかけとなった水…。 鋤柄さん: 「今日もみんなで『雨降るといいね』って言って。降りすぎても困っちゃうんですけど。自然相手なので難しいです」 自然とともに生きる難しさ。蒲郡の災害現場は、1年経った今も投げかけています。

蒲郡市は災害を受けた新たな対策として、市内全域の48ある「自主防災会」で、それぞれの地域の災害リスクを地図にまとめています。

土砂災害警戒区域に指定されていない場所でも、住民の声を受けて“土砂災害の危険がある”として加筆して、赤く塗られています。