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「転勤できずに工場にいたら恐らく命はなかった」 80年前の豊川空襲を免れた98歳男性が語り継ぐ痛ましい記憶

08.07(木)12:16
豊川空襲で壊滅的な被害を受けた、豊川海軍工廠で働いていた男性が三重県四日市市にいます。
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(赤尾藤二さん 98歳)
「82年前のはがきです。採用通知ですね」
赤尾藤二さん(98)は1943年に豊川海軍工廠に採用され、機関銃などを製造する「機銃部」で働いていましたが、翌年に三重県の鈴鹿海軍工廠に転勤し、豊川空襲の被害を受けることはありませんでした。
(赤尾さん)
「8月7日の大空襲で一番被害が大きかったのは機銃部だった。転勤できずに機銃部の工場にいたら恐らく命はなかった」
赤尾さんは去年11月に豊川海軍工廠の跡地を戦後初めて訪れた際、偶然居合わせた校外学習の小学生に自身の経験を伝えました。それをきっかけに、家族以外にも戦争の実態を伝えたいと思うようになりました。
(赤尾さん)
「戦争なんてあってはならない。戦後80年、世界ではいまも戦禍が絶えません。次の世代に私の経験を伝えたい」
戦後80年、痛ましい記憶を後世に伝えます。