
フェンシング日本女子の新星・村瀬あかり選手 高校生唯一の国内トップ10、母と挑んだ最後のインターハイ

去年のパリオリンピックで、日本はフェンシングで史上最多の5つのメダルを獲得しました。そんな盛り上がりを見せるフェンシング界に、岐阜からニュースター誕生の予感です。

美容室でモチベーションを上げる高校生。岐阜総合学園3年、フェンシング女子フルーレの村瀬あかり選手(18)です。
去年パリオリンピックで5つのメダルを獲得した日本フェンシング界。国内の競争も激化する中で、村瀬選手は現在日本ランク10位。高校生でただ1人トップ10入りしています。
そんな村瀬選手を指導しているのは、母のさゆりさん。所属クラブ「はしまモア」の監督なんです。
親子ゆえに意見を言い合うこともしばしば…。
「自分が思っていることと、やっていることが違うとイライラしちゃうんですけど、ぶつかり合いながらも教えてもらうために頑張っています」(村瀬選手)
「イラッとするシーンが試合でもよくあるので、常に平常心でやれるといいな」(さゆりさん)
監督は母のさゆりさん

2007年に岐阜市に生まれ、物心がついた時には剣を握っていた村瀬選手。15歳の時、中学の全国大会で優勝。未来の日本代表候補として注目の存在となります。
「オリンピックという一番大きい大会でメダルを取りたい。アスリートとしての目標にしています」(村瀬選手)
母のさゆりさんは約20年前に「はしまモア フェンシングクラブ」を設立。オリンピック選手も輩出しました。
今は実の娘を指導。なにより人間性を育むことに重きを置いています。
「フェンシングだけじゃなく、あいさつや礼儀なども日常の中で教えてくださるので、本当に助かっています」(村瀬選手)
「周りの人たちに“あかり”を灯すような人間になってもらいたいと名前を付けた。フェンシングを通して、自分が受けてきた愛をみんなに返していけるような人間になってもらえたら」(さゆりさん)
フェンシング場では監督と選手ですが、家に帰れば仲睦まじい母と娘。料理はいつも共同作業です。
体幹の強化で急成長

村瀬選手は今年6月、年齢区分のないシニアのトーナメントで初めて準優勝。
急成長を遂げた要因は、体幹の強化。半年前から通い始めた施設で徹底的に鍛えています。
「フェンシングは前後に動くんですけど、ダッキングといって、しゃがんだりもするんです。この時、体を上げる前に崩れたりしていたんですけど、(体幹の筋肉を)固めると、しゃがんだ後にすぐ立って、崩れず次の技にいけるようになりました」(村瀬選手)
村瀬選手は、母のためにも絶対に勝ちたい大会がありました。
「高校3年生最後のインターハイで個人初の金メダルを取って、帰ってこられたらいいなと思っています」(村瀬選手)
母と共に挑んだ最後のインターハイ

8月8日のインターハイ。個人初の金メダルを目指す村瀬選手は、監督を務める母と共に、大事な戦いに挑みます。
88人で争われる女子フルーレ。村瀬選手は日本ランク10位の実力を見せ、順当に勝ち上がっていきます。
迎えた準々決勝。東京の強豪校・東亜学園の谷村星奈選手と対戦。
序盤、0対5といきなりリードを許します。
「点差が開くと焦ってしまうので、なるべく開かないようにしたかった」(村瀬選手)
その後、10対14。あと1点を奪われると敗退が決まる絶体絶命のピンチ。
それでも、鍛え上げた体幹を生かして4連続ポイント。同点に追いつきます。
ガッツポーズが出たものの…ポイントは相手に。金メダルには届きませんでした。
「ちょっと自分の中で焦りが出ました」(村瀬選手)
「この悔しさをバネに、またさらに強くなるんじゃないかなと。団体戦につなげて頑張ってくれたらと思います」(さゆりさん)
翌日、悔しさをバネに団体戦の金メダルを獲得した村瀬選手。岐阜総合学園の3連覇に大きく貢献しました。
「団体戦では切り替えてチームを優勝に導けたし、自分も1回も負けずにいい内容の試合ができていたので、よかったと思います」(村瀬選手)
次に見据えるのは国内最大の大会、12月の全日本選手権。母と娘の挑戦はこれからも続きます。