
高校生らが企画「戦争遺跡」巡るツアー “途絶えさせたくない”平和への願い【戦後80年】

戦後80年、愛知県の高校生らが企画したのは、「戦争遺跡」をめぐるツアーです。戦争体験者が少なくなるなか、高校生が感じた戦争とは・・・。

「豊橋の方は地平線というか、一面全部火の海。これじゃだめだなっていう実感はすごくあったんですけどね」(豊橋空襲を体験した渡辺弘一さん=90歳=)
1945年6月、愛知県豊橋市の市街地を焼く尽くした「豊橋空襲」。体験者の話に耳を傾けるのは、愛知県内から集まった高校生たちです。
「どんなことしてでも生き延びなきゃいけない。そう思って私は生きてきました。だから皆さんもこれから先どんなことがあるかもしれません。でも自分の考えで頑張って生きてください」(豊橋空襲を体験した毛利恵子さん=89歳=)
この日行われたのは、高校生が戦争の体験者から話を聞いたり、跡地を訪れたりするスタディツアー。平和や震災、社会課題などについて取り組む愛知県内の私立高校に通う生徒らが企画しました。
「私たち生の声が聞ける最後の世代って結構先生たちからいろんな方からも言われていて、生の声を聞ける最後の世代だからこそ私たちがしっかり聞いて、それを次の世代に語り継いでいかなきゃいけない」(愛知県高校生フェスティバル実行委員会委員長 安田わをんさん)
ツアーには愛知県内11の高校から34人が参加。1泊2日のバスツアーで、県内の戦争跡地をめぐります。
参加した理由にを尋ねると、「自分が住んでいる愛知県で空襲があったことを自分が体験というか本物を見たいなと思って参加しました」という声や「身近にある戦争の爪痕や歴史を自分の目で確かめたいなと思った」といった声が聞かれました。
戦争遺跡や資料の生々しさに息をのむ高校生…

高校生たちが訪れたのは。海軍の兵器工場の跡地に作られた平和公園。豊川海軍工廠は海軍の航空機や艦船などが装備する機銃とその弾丸の生産工場でしたが1945年8月7日、アメリカ軍のB29による空襲を受け2500人以上の命が奪われました。
平和公園には、園内の施設に当時の写真や資料などが展示されているほか、火薬庫や弾丸の起爆装置を保管した倉庫など当時の建物が残されています。
続いて訪れたのは、「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」。高校生たちが手にしたのは、豊川海軍工廠を狙った空襲で落とされた250キロ爆弾の破片です。
その後、空襲の犠牲者の供養塔や慰霊碑も訪れ、空襲を体験した親を持つ家族の語りに耳を傾けました。戦争を直接体験していない語り部も、高齢化しています。
「もう君たちにバトンタッチです。母親の世代、自分の世代、ここまでは直接聞けたけど、ここから自分がそちらへというここの橋渡しは本当難しいけどそういう時代に入りました。当時の人、たぶん最後の務めです。皆さんはそこからいろんなものを感じ取って伝えてほしいと思います」(語り部・小田悟さん=67歳=)
ツアー2日目、高校生たちの思い

ツアー2日目。続いては、半田市の観光スポットでもある「半田赤レンガ建物」。ビールの製造工場でしたが、戦争が始まると、戦闘機を作る会社の倉庫として使われました。壁には、アメリカ軍による銃撃の跡が残っています。
その後は、海軍の水上機の揚げ降ろしに使われた滑走台などを見学。ツアー最後に訪れたのは、南知多町にある中之院。92体もの軍人像が立ち並んでいます。戦没した我が子を慰霊するため、遺族が建てたといいます。
「こんな悲惨なことを二度と繰り返さないためには高校生がもっと知って活動していけるようにしたいと思いました」(豊橋中央高校2年生)
「まだまだ学びきれないんだなと実感させられる2日間だったと思います。『学ぶ』ということは戦争を経験してきた人たちの思いがずっと語り継がれることだから、思いをなくさないためにも受け継ぐことは大切だと思います。絶対にここで途絶えさせたくないと思っています」(愛知県高校生フェスティバル実行委員会 委員長安田わをんさん)