
名古屋城のシカがピンチ!江戸時代から続くシカ飼育、“残り2頭”で終幕か…市議会は和歌山県との協力模索

最盛期には56頭いたという、名古屋城のシカ。現在は2頭まで減少し、“絶滅”の危機が迫っています。
健康状態を毎日確認「大切に育てたい」
『名古屋城総合事務所』の三谷幸司さんによると、現在、名古屋城の内堀で暮らしているのは、ホンシュウジカのメス2頭。年齢は推定14~17歳で、1991年に和歌山城から譲り受けたシカの子孫といわれています。
“臆病で警戒心が強い”と言われるシカ。名古屋城では、そんなシカたちに過度のストレスを与えないよう、できるだけ野生に近い状態で放し飼いをしています。
三谷さんによると、健康状態は毎日チェック。日常管理として、えさやりや水の提供などを行い、健康状態を保つ世話を行っているといいます。また、週に2回、固形の食べられるものを提供。草もよく食べているといいます。
“最後の2頭”となった、メス2頭。三谷さんは、「メス2頭なので、時期がきたらいずれいなくなってしまう。この2頭を大切に育てたいです」とシカへの思いを明かしました。
シカはどうなる?市議会が維持対策を検討
今年6月23日に行われた名古屋市議会では、名古屋城のシカを維持するための対策の必要性について議論する一幕も。
広沢一郎名古屋市長は、「名古屋城のシカは、特別史跡名古屋城跡を構成する諸要素にも位置付けられており、また、内堀で飼っていること自体が他城郭と比べても大変珍しく、多くの来場者に親しまれていますので、シカがいなくなってしまう事態は避けたいと考えております」と話し、“絶滅”への危機感を明かしました。
同市議会では、自民党名古屋市議団 浅井正仁市議より、「和歌山城と同じ入手経路で、同じ紀州和歌山にあるアドベンチャーワールドに頼んで、名古屋城のシカの絶滅を防ぐのはいかがですか」と、シカの数を増やすための提案も。
広沢名古屋市長は、「私としては、シカに永く居続けてほしいと思っています」と心境を明かし、同提案については、「担当職員を派遣させたいと存じます」と答えました。
また、観光文化交流局長は、シカを譲り受ける対策の必要性について、「譲り受け先との調整が必要になることや、動物取扱業の変更に伴う体制強化が必要になるなど、様々な課題があると認識しています」と話し、続けて「課題解決に向けて関係局と連携しつつ、調整・検討を進めてまいります」と話しました。
2頭の名前は“山村ちゃん”と“もみじちゃん”
そもそも、なぜ名古屋城の内堀でシカが暮らしているのでしょうか。同市議会で質問・答弁が行われた際、名古屋城とシカの歴史も明かされました。
観光文化交流局長によると、名古屋城のシカは、江戸時代から内堀で飼われていたことが、「金城温古録」に記録されているといいます。また、浅井市議からは、「金城温古録にも二代徳川光友の頃、シカを飼っていたという記述があります。戦中に食糧難で死滅しましたが、戦後、東山動植物園から3頭のヤクシカを貰い受け、最盛期の昭和52年には56頭まで増えました」とこれまでの経緯が語られました。
また、“遊び心のあるネーミングだと思います”と広沢名古屋市長が感想を述べたのが、最後の2頭となったシカの名前。
浅井市議によると、「8年前まで名前がなかった」という2頭の名前は、“山村ちゃん”と“もみじちゃん”。以前、1頭が脚のケガをして治療を受けた際、どちらが治療を受けたシカなのか分かるよう、ケガをしたシカに「もみじちゃん」と名付けたことがきっかけだったといいます。さらに、この2頭は親子の可能性もあり、人間年齢に換算すると、60歳と40歳になるといいます。
「皆様に可愛がっていただける名前だと思う」と、その名前に広沢名古屋市長より、“お墨付き”をもらった山村ちゃんともみじちゃん。2頭の名前について、広沢名古屋市長は「名古屋城公式ウェブサイトなどで周知を検討してまいります」と述べました。
江戸時代から受け継がれてきた“シカの歴史”は、山村ちゃんともみじちゃんで幕を閉じてしまうのか。観光文化交流局長は、「あたたかく見守りながら、育てることを心掛けております」、「今後も名古屋城のシカが来場者から愛され続ける存在となるよう取り組んでまいります」と2頭への思いを語りました。