「少子化問題の解決必要なし」経済学者・成田悠輔が切る 成長が止まった社会でいかに豊かに生きるか

「少子化問題を解決する必要はない」。そう主張するのは、経済学者の成田悠輔さん。個々の選択を尊重しつつ、社会全体のシステムを見直すことが必要だと提言します。少子化を「悪」ととらえず、新しい時代に適した社会の形を模索することが求められています。
少子化は人類全体の問題

――なぜ、少子化問題が深刻化していると思いますか。
子どもを産んでも、大変なことが多いからじゃないですか。人間は自分自身の幸せや快適さを重視すると、子どもを産むようにはできていないんじゃないかと。
これは日本人だけの問題ではなく、人類全体の問題だと思うんです。というのも、この少子化問題と呼ばれているものをまともに解決できている先進国は、1つもないんですよ。解決できているように見える国は一時的な政策で、一時的に出生率が上がるか、アメリカのように移民を受け入れることで、問題を隠しているかのどちらかです。

女性の社会進出で問題解決できているといわれたら、北欧諸国のスイスやスウェーデンなどです。でも、そのあたりを見ても、気づいたら下がって1.4や1.5ほどになります。
一見、移民は解決策に思えますが、移民はほかの国から人口を取っているので、人類全体としては、少子化問題に解決策を一度も見いだせていません。それは、自由や人権が保障されるようになって「好きに生きていいですよ」と自分の幸せを追求したら、わざわざ子どもを産むという大変な道を選ぶ人は少数派になるからじゃないかな、と。
「少子化問題を解決する必要はない」

僕は少子化問題を解決する必要はないと思っています。少子化問題には2つの側面があって、1つは「望まざる少子化問題」。子どもを産みたいと思っているけれど、外的な理由によって産めない人たちがいることで生じる少子化。これは何かの制度などによって解決できる部分があるかもしれません。
もう1つは、それとは別に「望まれた少子化問題」です。1人ひとりが生きたい人生を生きる。その結果として子どもを「産まない」と、それぞれの人が選び取っていった結果として生まれる少子化問題です。これはしょうがないんじゃないかと。
「少子化」が起きることが“悪”と、罪悪感を押し付けている

「少子化対策」とか「少子化問題」っていうのは、考えないことが大事だと思っています。「少子化対策」と言った時点で、少子化が起きることが悪であり、それを作り出している1 人ひとりの選択は何か間違ったものであるかのような罪悪感を押し付けているじゃないですか。
それが人間の自然な選択だと思うんですよ。さまざまな制度やしくみをソフトランディングさせていくかを考えないといけません。
昭和の“ご近所さんコミュニティー”を取り戻すことが大切

――子どもが産みたくても産めない中で、少子化になってしまっている問題についてどのように解決したらよいでしょうか。
僕たちは自力で生きられるようになっていて、子どもを産んだら、自分の家族で子育てをするのが普通と思われるようになっています。それが無理だと思うんですよ。基本はみんなで子育てするのが、人類が営んできた普通の状態で。その状態をどう現代に取り戻せるかですよね。
最近「子育てシェアハウス」みたいなのは増えています。マンションで暮らしますが、生活はバラバラで、子育ての部分だけシェアし合う。昔、ご近所さん同士で子育てを融通し合っていたように、ある時には自分たちが隣の家のお子さんまで一緒に見て、代わりに明日は隣の家の人が自分の子どもを見てくれるような。そうした昭和の“ご近所さんコミュニティー”みたいなものをどう現代的に取り戻すかです。
あとはお金の問題で、ただお金を配ったとしても、そんなに人は子どもを産まない。子どもを育てるのに、大体平均で3000万や4000万かかります。どういった教育を受けさせるとか、習い事や留学となると、もっとお金はかかる。そうなると、お金問題は大きいと個人的には思います。
適切にあきらめて、日本社会を作り直す必要がある

いまから数十年経つと「昔、少子化対策でどうにか子どもを増やさなくちゃいけない、とあがいていたのが、一番の間違いだった」と振り返る時代が来ると思います。
出生率を上げることができるはずだ、上げた先に何が待っているのかと希望的観測ばかりしていて、あきらめが遅れた。その結果としていろいろな制度が持たなくなってしまった、と後悔するときが来るんじゃないかな、と。
適切にあきらめて、世界観を180度転換して、日本社会や人類の社会を作り直さないといけないのではないかと思います。