鍾乳洞がトンネルに!? 「日本一、圧を感じる隧道」 山間部に佇む“真っ赤な集落”を支えた道を巡る旅『道との遭遇』
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、全国100万キロ以上の道を巡ってきた道マニア歴26年の鹿取茂雄さんが、岡山県にある“真っ赤な集落を支えた道”を巡ります。
ベンガラ色の集落の発展に貢献した「とと道」
鹿取さんと一緒に旅をするのは、岡山で活動するローカルタレントの相田翔吾さん。2人が訪れたのは、岡山県の西に位置する高梁(たかはし)市。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「ベンガラで栄えた吹屋(ふきや)を、道から深掘りしたい」
山奥にある吹屋地区には、瓦や壁がベンガラ色で統一された集落があります。この地区には江戸時代から昭和47年まで銅が採掘できる吉岡銅山があり、採掘された赤い錆の成分を含む硫化鉄鉱を材料に、赤い顔料の“ベンガラ”が日本で最初に生産されました。
九谷焼や輪島塗の漆器など、伝統工芸品にも使われた吹屋のベンガラは全国に広まり、最盛期は日本の95%のシェアを誇りました。
そんな吹屋地区を支えた道を辿りながら、歴史の紐を解きます。2人はまず、この集落の真ん中を通る道へ。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「このメインの通りは、鉱山の鉱物資源を運ぶために必要とされていた」
江戸時代以前から使われていたというこのメインの道は、鉱石やベンガラを各地へ運ぶために使われただけでなく、もう一つ重要な役割を担っていたそう。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「この道は、約60km離れた瀬戸内海に面した笠岡市まで繋がっている、通称『とと道(みち)』。吹屋から瀬戸内海へは鉱石を運び、逆に瀬戸内海から吹屋に魚を運んでいた」
行きはベンガラや鉱石を届け、帰りは瀬戸内海の新鮮な魚(=とと)を運んでいた道であったことから「とと道」と呼ばれ、吹屋の発展に大きく貢献したそうです。
鍾乳洞を隧道に転用!?日本一圧を感じる「羽山第二隧道」
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「ここ吹屋から瀬戸内に行く中で、ぜひ見てほしい道がある」
江戸時代から大正時代頃まで使われていた「とと道」は山越えが過酷だったため、それを解消するべく昭和初期に隧道を掘って造られた道が、現在の岡山県道300号。この県道にある隧道が、「他では見られないすごい姿をしている」と鹿取さんは言います。
集落から南下すること15分。県道300号にある巨大な岩を削った片洞門や、「羽山(はやま)第一隧道」を抜けると、その先に現れたのは、巨大な岩をくり抜いた「羽山第二隧道」。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「普通の隧道やトンネルでは考えられないような形をしている。上まで全て岩」
鹿取さんが「日本一、圧を感じる隧道」と言うこの「羽山第二隧道」は、「もともとあった鍾乳洞を生かして隧道にした」とのこと。「羽山第二隧道」は、大正3年に着工。鍾乳洞を削って道を通すという難工事がゆえ、何度も工事は中断。道が開通したのは、15年後の昭和4年でした。
命綱で上から吊るされた状態で石を掘った記録も残されているそうで、「鉱山で栄える吹屋の町と、瀬戸内の商業圏を結ぶために、どうしてもこの道が必要だった。だから、命懸けでも造らなければという思いがあった」と鹿取さん。隧道内の壁面には、人力で削ったと思われる跡が見られます。
「羽山第二隧道」の坑門近くには「穴小屋略図」と書かれた看板があり、隧道内を走る道の反対側に鍾乳洞(=穴小屋)が続いていることを表しています。
過去に2回、「羽山第二隧道」に来たことがある鹿取さんもまだ奥まで入ったことがないそうで、「鍾乳洞の中も歩きたい」と探索することに。
鍾乳洞の入口は天井が低く、しゃがんで歩くしかなかった道は次第に開けて、立って歩けるほどの天井高に。20分ほど奥へ進むと、行き止まりに到達します。
(道マニア・鹿取茂雄さん)
「道ある所まで来ないと、この景色は見られなかった。見られてよかった」
9月24日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より