暗渠道から歴史を紐解く!岐阜を発展させた「忠節用水」の暗渠道を巡る旅『道との遭遇』
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は、川が流れていた場所の上にできた“暗渠道(あんきょみち)”をこよなく愛する道マニア歴15年の髙山英男さんが、岐阜県の“長良川にまつわる暗渠道”から街の歴史を紐解きます。
長良川から引き入れた人工の「忠節用水」
髙山さんと一緒に旅をするのは、一般の男性。2人が訪れたのは、岐阜城近くの「長良川」沿い。
(道マニア・髙山英男さん)
「岐阜と言えば、日本三大清流の一つ『長良川』。岐阜の歴史を語る上で重要な『長良川』にまつわる暗渠道を巡りたい」
岐阜県郡上市~伊勢湾に注ぐ、延長166kmの一級河川「長良川」。岐阜を代表する日本屈指の清流であり、伝統的な鵜飼漁(うかいりょう)が行われることでも有名です。
髙山さん曰く、この「長良川」から市内に引き入れた用水が、かつては街の暮らしを支え、その後ひっそりと暗渠になったそう。
その歴史を紐解くべく、用水が見られる場所へ。2人は橋を渡り、長良川の南岸を探索していると、現れたのは水門「第一樋門」。「水を引き込んで、街中に流す取水口」と髙山さん。
さらに、「長良川」から引き入れた支流を辿ってみると…
(道マニア・髙山英男さん)
「ここは『忠節用水』。自然にできた支流ではなく、人が造った支流」
江戸時代から農業用水として岐阜の各所に張り巡らされていた「忠節用水(ちゅうせつようすい)」。織田信長が戦死した者の子孫を集め、養育した村「忠節村(ちゅうせつむら)」が由来で、村の近くには用水の取水口があったと言われています。
現在では大部分が暗渠になっているこの「忠節用水」の流れを追っていくと、現れたのは「第二樋門」。
水路を辿って進み続けると、途中から暗渠に。岐阜公園や岐阜中警察署前の交差点の近くには、橋の欄干が存在。かつて川が流れていた痕跡が、今も残っています。
また、長良橋通りが交わる「泉町交差点」には、かつて橋があったことを示す「平田橋跡」も。
橋跡の説明書きによると、昭和43年まで存在していたという「平田橋」。交差点を南北に走る「長良橋通り」に、かつて路面電車が走っていたそうで、明治に開業した「名鉄岐阜市内線」が平田橋を渡るルートで運行。しかし2005年、他の交通の障害になり全線が廃止されたとのこと。
「忠節用水」は網の目のように分岐しながら市内に広がっており、交通量の増加や市街化に伴い、昭和40年頃に水路は暗渠化。「長良川」から引き入れた綺麗な用水は人々に愛され、南西に位置する柳ヶ瀬(やながせ)まで続いています。
暗渠化されても水が見られる「アクアージュ柳ヶ瀬」
続いて2人が訪れたのは、柳ヶ瀬。かつては中部地方有数の繁華街で、現在はレトロな雰囲気のアーケード街が広がっています。
そして辿り着いたのは、イタリアをイメージした憩いの場「アクアージュ柳ヶ瀬」。大通りから脇に入ると、まるで路地裏のような雰囲気の通路が奥へと続きます。石畳の道を進むと…
(道マニア・髙山英男さん)
「この下を確かに水路が流れている」
道の下を通る水路を覗き込むと水面が見え、魚が泳ぐ姿も。
かつては沼地や田畑が多く、今でも地下のほとんどに水路が流れるという柳ヶ瀬。明治30年あたりから街は徐々に発展し、「長良川」から運ばれる水は農業用水から生活用水へと転用されました。歴史とともに暗渠へと姿を変えた用水路は、今でも人々を支え続けています。
10月1日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より