624人が犠牲になった「豊橋空襲」から80年 体験者の思いに寄り添って後世へ語り継ぐ

624人が犠牲になった豊橋空襲から80年が経ちました。空襲の体験をどうつないでいくのか。語りつごうとする有志団体と空襲体験者の思いを取材しました。

「焼夷弾を雨あられのように落としてきたんです。昼間以上に本当に明るい。ものすごい火の海。ごうごう燃え上って、私はまるであぶられた状態で長い時間を過ごしました」
「戦争だけは避けたい、やめたい。私はそれを強く言いたいです」
当時の出来事を強く訴えているのは、豊橋空襲の体験者です。1945年6月19日夜から20日未明にかけて、アメリカ軍の爆撃機が豊橋の街を襲い、焼夷弾約1万5000発を投下。市街地は焼け尽くされ、624人が犠牲になりました。

この日は、豊橋空襲の体験者や地元の高校生など約120人が、犠牲者の追悼と平和を祈り、灯篭流しを行いました。灯篭流しを企画したのは、「豊橋空襲を語り継ぐ会」。空襲の体験を風化させまいと結成された有志団体です。

「豊橋空襲を語り継ぐ会」代表の長坂すぎ子さんは、空襲の体験者ではありませんが、親世代が体験した豊橋空襲を知りたいと、語り継ぐ会で活動しています。
語りつぐ会 代表 長坂すぎ子さん:
「灯篭流しに参加したことで、平和を考える1つにしていただけるのではないかと」
空襲の体験者“以外”が語ることの苦悩

長坂さんは、空襲の体験を語りつごうとしてきましたが、その「伝え方」に悩んでいるといいます。
語りつぐ会のメンバーは、空襲を体験していません。体験をしていない語り手がどう伝えれば、体験者が納得し、聞き手に「自分事」としてとらえてもらえるのか。そこで空襲から80年を迎える2025年に、長坂さんたち語りつぐ会は話し合いました。

長坂さん:
「私たちは戦争体験していない世代が体験者に代わって話すのは、とても荷が重いことだと思うんですね。それぞれの思いがあったら、話していただけたらと思います」
語り継ぐ会のメンバー:
「僕らが体験者になるというのはできないので、僕なりの解釈が入ってしまうかもしれないけど、(体験者の)気持ちを受け取ってがんばってやりたい」
話し合いで出たのは、体験者の”思い”を尊重することでした。
体験者の“思い”に寄り添う「戦争のない時代を長く続けて」

“思い”をたしかめるべく、語り継ぐ会のメンバーが体験者の元へと足を運びます。語りつぐ会の林茂男さんが、空襲体験者の羽田光江さんの元へ。羽田さんは、7歳の時に豊橋空襲を体験。生き延びましたが、自宅は全焼しました。

苦い過去を繰り返してほしくないと、20年ほど前から小中学校などで体験を語り続けています。羽田さんの体験を、どう後世に伝えるのか。
羽田光江さん:
「絵とか習字とかを寄付して、後の人(語り継ぐ会の)たちに利用いただけるようにしたいと思っています」
“軍国主義”を象徴した絵や習字が手がかりに

羽田さんが取り出したのは、小学1年生の頃に書いた“軍国主義”を象徴した絵や習字。空襲当時の生活を伝えるには、言葉だけではなく、自分が書いた絵や習字を合わせて紹介してほしいというのが、羽田さんの“思い”でした。
語り継ぐ会 林茂男さん:
「国のために戦っている兵隊に送ったり、そういう活動に子どもたちも一緒になってやっていたり、重要な手がかりになると思います」
羽田さん:
「若い方たちにもこういったことを大いに伝えてもらって戦争のない時代 を長く続けていただきたいです」

語りつぐ会は、体験者との対話を大切にしながら、空襲の体験を後世に伝えていきます。
語りつぐ会 代表 長坂さん:
「人の人生をよりリアルに伝えるという点では、少しでも日本が戦争をしないという平和につなげていく、私たちなりの形としてやっていきたいです」