
人気商店街エリアの一角に“戦争の記憶”…鎮座するつぎはぎだらけの仏像が伝えること 1日800人以上の死者を出した空襲


いまや名古屋で有数の観光スポットとなった商店街がある中区大須。この一角にある七寺(ななつでら)には、継ぎはぎだらけの像があります。戦争の記憶です。
■名古屋空襲の苛烈さを物語る大須の大日如来坐像
人で賑わう名古屋市中区大須の一角に佇む七寺。

その境内には約3メートルの大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)が鎮座しています。ただ、よく見ると継ぎはぎだらけで痛ましい姿です。

七寺の住職 蟹江良輝さん: 「この辺は空襲の際に焼夷弾をずっと落とされて、一面火の海になったということですので、その際に大日さんも『真っ赤になって焼け落ちた』と聞いております」 1945年3月19日未明、名古屋の上空にやってきたアメリカ軍のB29による名古屋空襲。1日で800人以上の死者を出し、名古屋の全ての空襲の中で最大規模といわれます。

七寺も境内がほぼ全焼しました。

不自然な色の継ぎはぎは、焼夷弾空襲で壊れ、欠けた部分を銅板や石材で補修した跡でした。背中にも…。

蟹江さん: 「飛んできたものの跡で、穴も開いていたりします。よっぽどひどかった戦争の空襲だったんじゃないかなというのは想像できます」
■守られた重要文化財のお経も…守り続けたい戦争の記憶
本堂内陣に残る、平安時代に作られた観音菩薩座像と勢至(せいし)菩薩座像。

元々は3体あり、2体は火の中から運び出すことができましたが、真ん中の1体は焼失し、今も姿はありません。

蟹江さん: 「丸一日、お堂やなんかは燃えていたそうですので、広場にその2体を出して、燃えないように痛まないようにということで、一晩守っていたというのは聞いています」 そして、倉の中には守ることができたものもありました。平安時代後期に書き写されたお経を集めた一切経(いっさいきょう)です。

蟹江さん: 「これも重要文化財なんです。4954巻のお経が伝えられております。疎開をしていて残ったものですね」

守ることができたものも、できなかったものもありますが、戦後80年、大須の雑踏に埋もれた戦争の記憶です。 蟹江さん: 「特に大日如来様は痛々しいお姿になっておりますので、『この仏様はどんな仏様ですか?』と聞かれた時に、戦争の話は少しさせていただきますし、そういったことを伝えていくのも使命かなと思っています」