
名古屋の37%が浸水 東海豪雨から25年 異常気象が珍しくない今求められる対策は

「東海豪雨から25年」。毎年、異常気象が珍しくなくなった今。東海豪雨のような被害を防ぐため、私たちに求められる水害対策とは。

追悼式典が行われたのは、東海豪雨で堤防が決壊した新川沿いにある名古屋市西区の公園。毎年9月11日に開くこの式典は「東海豪雨を語り継ぐ集い」と銘打ち、犠牲者の追悼とともに、惨劇を風化させないよう誓いを立てます。
2000年9月11日の未明から翌朝にかけて、名古屋で年間総雨量の約3分の1にあたる雨が降り、市内の約37%が水につかりました。
愛知県を中心に約7万軒が浸水し、10人が犠牲となりました。
都市型水害の恐ろしさを見せつけられた東海豪雨から、25年が経ちました。
「25年、早いですよね。風化させないように、こういうことがあったということを伝えていきたい」(名古屋・西区在住)
四半世紀前に起きた東海豪雨を教訓として、現在に至るまで様々な水害対策が進んでいます。
「相手は自然ですから、どれだけハード対策を整えても限界があることは明白。その一方で私たちが適切な避難行動を取るということが命を守る唯一の方法」(NPO法人 レスキューストックヤード 栗田暢之代表理事)
「内水氾濫」でポンプ所が浸水被害に

東海豪雨では、決壊した新川や庄内川が流れる西区周辺だけでなく、名古屋市の南部や東部でも浸水被害は深刻でした。
その一つ、緑区の「汐田ポンプ所」を訪ねました。汐田ポンプ所は、天白川と扇川沿いにあります。
雨が降ったときは、側溝などから集まった雨水を扇川に排水します。
「東海豪雨によって汐田ポンプ所では浸水被害がありました。実際に機械設備だとか電気設備が水に浸かって、ポンプが動かなくなってしまったということがありました」(名古屋市上下水道局 技術本部 山田裕士さん)
当時の名古屋市の記録にも汐田ポンプ所のことが書かれていました。名古屋市上下水道局の山田さんは当時、近くの野並ポンプ所で浸水対応に追われていました。
「ポンプにはディーゼルエンジンを動かす燃料が必要。当時は、ポンプ所の周りがかなり浸水していて、ポンプ所と天白川をロープでつないで、ゴムボートの上に重油のタンクを乗せてポンプ場に輸送して往復した思い出があります」(名古屋市上下水道局 山田さん)
当時の映像では、マンホールから水が噴き出し、ひざの上まで水に浸かっていました。
浸水の原因は、いわゆる「内水氾濫」。想定以上の雨が降って下水道や側溝の排水能力が追いつかなくなり、道路や建物が水に浸かりました。
東海豪雨を機にポンプ所の排水能力を増強

当時の雨水ポンプ所は、1時間に50ミリの雨に対応するよう作られていました。
ところが東海豪雨では11日午後7時に記録した時間最大雨量は97ミリ。
東海豪雨以降は、1時間に60ミリの雨に対応できるようにポンプ所の排水能力を市全体で1.3倍に増強。汐田ポンプ所の排水能力も、約2.3倍になりました。
さらに、雨水が一気に川に流れ出るのを避けるため調整池を整備。
現在の雨水貯留量は、25年前と比べて5.5倍と大幅に増えました。
ただ最近は異常気象が頻発していることもあり、大雨被害を防ぐための私たち一人一人の心掛けも大切です。
「浸水被害を軽減する取り組みとして、市民一人一人が雨水マスを清掃することによって街の浸水、大雨が降った場合でも、下水管に雨が流れ込み冠水を防ぐというような効果が期待できます」(名古屋市上下水道局 山田さん)
スムーズに排水できるような側溝の掃除もその一つです。それを助けてくれるアイテムを名古屋市の会社が開発しました。
「こういった車の部品であり、楽器の部品だとか。主に工業部品を扱っている会社になります」(旭ゴム化工 山田友寛 営業部長)
旭ゴム化工では、側溝の掃除に困っていた住民から相談を受け、何十キロもするふたを楽に外す器具を開発。てこの原理を利用して、側溝のふたに触れずに外すことができます。
「普段から地域のつながりじゃないですけれども、こういった側溝の掃除もきっかけの1つとして地域が協力することによって、いざというときのために、一致団結して防災に対して取り組んでもらえればと思います」(旭ゴム化工 山田営業部長)