
「7月5日に大地震が起きる」の“デマ”が社会現象に 過去に「地震は予知できる」とされた時代があった

7月5日に日本で大地震が起きるという噂が広がっています。「地震が起きる」という噂は時々拡散することがありますが、今回はいつもと少し状況が違います。漫画「私が見た未来」から広まった噂は海外に飛び火し、香港や台湾から日本への渡航者が減少、一部の航空会社が減便、欠航の措置を取るという社会現象に発展しました。この手の噂に対して、普段は無視をする気象庁も6月13日の長官会見で、記者の質問に答える形で「デマ」「心配する必要は一切ない」と異例のコメントをしました。
「地震は予知できる」と考えて作られた地震対策

気象庁は「現在の科学的知見では、日時と場所、大きさを特定して地震を予知することは不可能」とコメントしましたが、日本にはかつて「地震は予知ができる」と考えられていた時代があったことをご存じでしょうか。
遠い昔の話ではありません。実は1970年代、わずか半世紀ほど前の話です。
当時は1944年に昭和東南海地震、1946年に昭和南海地震が発生した後の時代でした。本州や四国の太平洋沿岸部では、「東海地震(駿河湾地震)」「東南海地震」「南海地震」の3つの地震が100~200年程度の周期で繰り返し起きると考えられていました。
そんな中、1976年に地震学者から「東海地震が切迫している。近く起きるかもしれない」という声が上がります。
1940年代に東南海地震と南海地震が起きたが、東海地震だけが起きていない。東海地震の震源域は割れ残っているから、近く大地震が起きるのではないか、という指摘です。
「地震が起きるぞ」予知情報が出たら総理大臣が「警戒宣言」

1978年に大規模地震対策特別措置法(大震法)という法律ができます。この大震法こそが「地震の予知ができる」ということを前提に作られた法律です。
当時の技術を結集して、割れ残っている東海地震の震源域に観測網を張り巡らせ、異常を感知できれば、地震が起きることは事前にわかるだろう、と考えられました。
そして、地震の予知情報が発表されると、内閣総理大臣は「警戒宣言」を発表する流れになっていました。
「警戒宣言」が発表されると対象地域の鉄道は運休、学校は休校、商業施設も営業をとりやめることになっていたのです。当時の地震訓練では、警戒宣言が発表されたことを想定しスーパーが閉店するシミュレーションも行われていました。
「地震の予知は不可能」から南海トラフ地震の「臨時情報」へ
「東海地震は予知できる」と言われる中、東海地震は発生せず、1995年に阪神・淡路大震災、2011年には東日本大震災など大地震が発生します。
東日本大震災では本震の2日前にも大きな地震が起きていましたが、警告はされませんでした。
地震予知への期待は揺らぎ、2013年に国は、東海地震の震源域を含む南海トラフ地震について「確度の高い予測は難しい」と発表します。
さまざまな研究が進んだ結果、「地震は予知できない」という結論に至ったといいます。今では「大震法」に変わる形で「南海トラフ地震の臨時情報」が運用されています。
南海トラフ地震はピンポイントでは予知できないが、異常が見られたら空振りでもいいから注意を促そうという考えです。地震対策は「予知」から「不確かな警告」へシフトしたのです。
7月5日の大地震説をどう考えるべきか
「現代の知見では、地震の予知をすることは不可能」。
では、7月5日に地震は起きないのか?私は起きる可能性はあると思います。
なぜなら、地震は予知できないからです。予知できないのだから「起きる」とも言えないし「起きない」とも言えません。
いま九州のトカラ列島で地震が多発しています。繰り返し大きな地震に見舞われている日本では、いつかどこかで大地震が発生します。
南海トラフ地震もいつか必ず発生します。7月5日に地震が起きるかどうかは重要なことではないと私は考えます。それよりも、いつ来るか分からない大地震に備えてしっかりと対策をすること、地味ですがこれが最も大事です。
(メ~テレ 災害担当デスク・気象予報士 柴田正登志)