
岐阜高島屋の閉店から1年 柳ケ瀬商店街に吹く新たな風 新規出店が過去最多、再生なるか

岐阜県内唯一のデパートだった「岐阜高島屋」の閉店から1年が経ちました。中心街・柳ケ瀬の人通りは減る一方で、新しい店の出店が相次ぐなど、新たな兆しも見せています。

去年7月末、岐阜高島屋は47年の歴史に幕を下ろしました。
「岐阜高島屋がここにあったんだと、一人でも多くの心に残ればと思う。最終日よろしくお願いします」(岐阜高島屋 食料品マネジャー 木野村昌士さん)
1977年に柳ケ瀬商店街の中に開業。半世紀近くにわたって地元の人たちに愛されてきましたが、収支悪化や建物の老朽化などを理由に閉店しました。
岐阜高島屋の閉店で、岐阜県は東海3県では初の「百貨店ゼロ県」に。
閉店から1年経った今も建物はそのまま。今後解体される見通しですが、家主の会社などと高島屋の間でその費用などをめぐり協議が続いていて、結論はまだ出ていません。
岐阜市の調査で、商店街の人通りは、去年9月の時点で2022年の同じ時期に比べて平日で13.7%、休日で9.1%減少しています。
レストランは柳ケ瀬に移転「希望はある」

かつて高島屋の11階レストラン街に入っていた和食店「みわ屋」。高島屋の閉店に合わせて移転を余儀なくされました。
「青天のへきれきというか、ショックだった」(みわ屋柳ケ瀬店 田村孝次 代表)
移転先は、高島屋から約350m離れた同じ柳ケ瀬の中。8日で移転からちょうど1年になります。
高島屋時代の人気メニューの弁当は2400円程度でしたが、移転後は新たに1000円台で弁当の販売を開始し、売り上げは好調だといいます。
「希望はまだまだある。柳ケ瀬の知名度はまだある。柳ケ瀬という名前を岐阜は消してはいけない。がんばらないといけない」(田村代表)
柳ケ瀬商店街に新たな風

高島屋の閉店によって、柳ケ瀬商店街には新たな風も吹き始めています。
岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会の水野琢朗理事長によると、この1年間は、過去10年で一番出店数が多かったといいます。
「1年間の新規出店が20店舗。私が柳ケ瀬に来て10年くらい経つが初めて。高島屋がなくなったことによって、ちょっと家賃の相場も下がった。ほどよい家賃感になり、検討してくださっている方もかなり多いのでは」(水野理事長)
この1年で新しく柳ケ瀬商店街に出店した店の1つ、「御八あんやなぎ」。“羊羹チーズケーキ”や“餡子カヌレ”など、和と洋を組み合わせた手作りお菓子が人気を集めています。
「柳ケ瀬だからではなく、この物件に一目ぼれして、初めて見たときに即決した」(御八あんやなぎ 成田渚 オーナー)
成田さんはそれまでマルシェに出店するなどし、特定の店舗を持っていませんでした。柳ケ瀬に出店後はSNSで情報発信することで、あらかじめ店を目的に来てくれる客も多いため、商店街の人通りが少ない影響はあまりないといいます。
「“日本一のシャッター街”と言われてから逆に注目度が上がり、再注目されやすい。今がチャンスだなというのはある」(成田さん)
今後は商店街全体も盛り上がっていってもらいたいと願っています。
「出店者が増えているのは事実。少しでも多くの人が柳ケ瀬に来て、何店舗も行くところがある状態に。今までは高島屋にしか用事がなかったかもしれないが、商店街らしさを出していけるといいなと思う」(成田さん)
行政にも動きが

行政も動き始めています。高島屋のほど近くにある岐阜市の公園「金公園」は、2023年に広い芝生広場を備えた憩いの場としてリニューアル。
また、市は柳ケ瀬の中心部にありながら23年前に閉店して以降、長く手つかずになっていたスーパー「長崎屋」の跡地に、様々なイベントができる「柳ケ瀬広場」を整備することを決めました。
「高島屋がなくても柳ケ瀬という街に可能性を感じてくれて、新規出店してくださる方がこれだけ多いというのは自信になった。個性的で次世代の方にも喜ばれるお店を中心に盛り上げていって、もう一度柳ケ瀬がにぎわっているところまでじっくりやっていきたいと思っている」(岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会 水野理事長)