
広島の原爆で被爆した「ピアノ」は当時の傷跡そのまま 原爆の凄惨さと平和の大切さを訴える

1945年8月6日、広島で被爆した「被爆ピアノ」。側面には原爆の爆風によって飛ばされたガラスなどが刺さった傷跡が残っています。この傷は修理せずにあえて残し、歴史を伝える証人として全国を巡っています。活動を支えるのは、被爆2世のピアノ調律師と、被爆ピアノに魅せられた若きピアニストです。

被爆ピアノを修理・調律し、全国のコンサートに貸し出してきたのが、ピアノ調律師の矢川光則さんです。7台あるうちの1台の被爆ピアノを見せてもらいました。
「大正8年か9年に制作されたピアノです。爆心地からわずか1.5キロのところで、一瞬にして家は倒壊してがれきの下になったピアノです。ガラスの破片がいっぱい出てきました」

矢川さんが被爆ピアノの活動を始めたのは2001年から。自身も被爆2世であることから、「ピアノのリサイクル活動をしていたときに、広島なので、原爆の被害を受けたピアノが出てきました」と、そのきっかけを語ります。
同年8月6日には平和公園でコンサートを開催し、多くの人々の感動を呼びました。「こういう平和の支え方もあるんだな」と、矢川さんは活動を続けています。

被爆ピアノを所有する矢川さんは、そのすべてを自らトラックで運び、過密なスケジュールをこなします。年間200日もコンサートが行われるため、調律はトラックの中で済ませることも珍しくありません。
矢川さんは、被爆当時の傷跡をそのまま残すことにこだわります。

「外側なんかは、私に託されてから、まったく修理も何もしていない。修理したらダメ。被爆資料としての価値が半減するから。歴史を消すことになるから」
あえて歴史を消さずに残すのは、被爆ピアノとの出合いをきっかけに80年前に何が起きたのか、考えてもらいたいという強い願いがあるからです。
「意思を持っているようでした」若きピアニストの決意

そんな被爆ピアノに心を動かされ、演奏活動を続けるピアニストがいます。名古屋を拠点に活動する佐藤奈菜さんです。
2023年、広島で被爆ピアノと出合った佐藤さんはその音色に魅せられ、これまでに12回ものコンサートで演奏してきました。

「人のように意思を持っている感じがしました。被爆ピアノから受け継いだ気持ちを伝えたい、こうするとうれしい、というメッセージを受け取ったときに、わたしも本当に心から届けたいと思いました」

被爆ピアノを通して、悲しみや戦争を忘れないでほしいというメッセージを伝えたいと語る佐藤さん。彼女はこう決意を新たにしました。
「戦争を忘れないで、ピアノは生き続けるように、みんなが悲しい出来事を忘れない。そこからみんなで平和について未来をつくっていくことを、音楽を通してできたら一番うれしいです」
記憶の継承、いま私たちが語り部に

あま市で開かれたコンサートでは、被爆2世で語り部活動を行う丹波真理(75歳)さんが来場していました。
「80年経って、本当に語れる被爆者が少なくなっているんです。2世・3世の出番ですが、自分たち自身も経験がない、聞いた話をまた伝えていくということ。いま、こうやって参加された皆さんが語り部となって、原爆の恐ろしさ、みんなが1つになる素晴らしさを伝えていけたらと思います」
歴史を刻んだピアノの音色は、未来へ、平和のメッセージを届け続けています。