【戦後80年】天気予報は終戦まで「軍事機密」だった 台風の情報は事前に広く伝えられず

名古屋市千種区にある名古屋地方気象台です。この気象台は、いまから100年ほど前、大正時代に建てられました。戦時中もここから愛知県の天気を観測。天気予報は終戦まで軍事機密とされ、新聞やラジオで広く報道されてはいませんでした。
天気予報がないことで、戦時中は台風の季節に何が起きたのか。上野高明気象予報士が取材してきました。
名古屋地方気象台に保存された戦時中の天気図

名古屋地方気象台の気象情報官・常盤実さんに、戦時中の観測データを見せてもらいました。戦時中も天気図は毎日作られていて、1943年9月17日午後6時の天気図です。日本列島の南に台風が発生しています。
名古屋地方気象台 気象情報官 常盤実さん:
「この台風は徐々に日本列島に近づいてきて、四国付近に上陸して日本海に抜けていった台風があります」
この台風に対して気象台は、戦時中でしたが、特別に「警報」を出した記録が残っています。

名古屋地方気象台 常盤さん:
「日本地図があります。沖縄のほうから黒く塗られている、あるいは斜線が引かれていますが、これは特例の暴風警報が発表されたことを示しています。全国的に黒と斜線になっています」
9月20日午前6時には西日本全域に暴風警報が出され愛知県内でも「気象特報」として豪雨が予想されていました。

上野高明気象予報士:
「こういった情報は、天気予報として発表されたのでしょうか?」
名古屋地方気象台 常盤さん:
「天気予報自体は発表されていなかったと聞いています」
「平和な時代」に伝えられる予報の価値

台風は9月20日に四国に上陸、全国で死者・行方不明者が970人、全壊した建物は6574戸にのぼりました。洪水などで300人以上の犠牲者が出た大分県でも、新聞に天気予報は掲載されませんでした。
対策する時間があれば、被害を少なくすることができたかもしれません。
名古屋地方気象台 常盤さん:
「出した予報が一般に伝わらないのは、当時の体制としては仕方がなかったんだろうと思います。平和な時代で気象データが得られて、それを使って自然災害を防いでいく情報を気象台では発信しています。平和な時代ということが、とても大切だと思います」

常盤さんに、戦時中も観測が行われていたとされる場所に案内してもらいました。
名古屋地方気象台 常盤さん:
「目視観測をするときは見通しの良い場所に行くのが基本ですから、おそらく上がってきて観測はしていたと思います」
戦時中の予報官と同じ景色を眺めて思ったのは、天気予報が当たり前に伝わり台風などの被害を未然に防ぐ。平和な時代の当たり前が続く世の中であってほしいと感じました。