
医師から「何も聞こえてませんよ」1歳半で耳の障がい分かるも水泳の才能が開花 “交換ノート”でデフリンピックへ

聴覚に障がいがある選手たちの「オリンピック」にあたる『デフリンピック』が開幕し、愛知県稲沢市の吉田琉那(よしだ・るな 22)さんが競泳で出場します。幼い頃に聴覚障がいが分かり、水を怖がっていた時期もありましたが、練習を重ね、コーチと始めた「交換ノート」で課題を乗り越えました。
■水が怖かった過去…父の影響で海が大好きになり『デフリンピック』が目標に
吉田琉那さんは、愛知県稲沢市で3姉妹の次女として生まれました。 耳が聞こえないと分かったのは、1歳半の時です。 母・恵さん: 「言葉がやっぱ遅いねとは言って。一歳半検診の時に保健師に相談をして、1回大きな病院で見てもらおうかって言われて検査したら、『お母さん、何も聞こえてませんよ』って言われたのが初めてだったんです」
はじめは水が怖かったという琉那さん。泳ぐキッカケになったのは、沖縄出身で、海が大好きな父の影響でした。 父・正さん: 「もう海が隣だから石垣島。魚取りに行ったり、小さい時からずっとやってました。本人たちも好きだったんじゃないかな。海から上がってこない。ずっと」 家族みんなで海水浴、幼いころから遊び場はいつも海でした。 母・恵さん: 「大きくなっても一緒に海行ってたんですけど、朝から帰る(午後)4~5時まで入りっぱなしで」
5歳でスイミングスクールに入ると、先生の口の動きで何を話しているのか想像したり、身振り手振りをまねたり。小学校の時に知ったデフリンピックが、いつしか水泳の目標になりました。 そんな琉那さんの武器は「スタートダッシュ」です。デフリンピックには得意のバタフライと自由形に出場します。 吉田琉那さん(手話): 「東京で(デフリンピックが)開催されるのを聞いて、わくわく嬉しい気持ちです」
デフリンピックは、耳が聞こえないアスリートを対象とした、4年に一度開催される国際スポーツ大会。今回、日本では初開催で、11月15日から東京で始まっています。
■コーチと始めた「交換ノート」“泳ぎ”も“気持ち”にも変化が
2024年10月から琉那さんを二人三脚で指導する、新谷一総コーチ。 指導し始めた当初は、上手くいかない部分もあったといいます。 新谷一総コーチ: 「遠慮みたいなところはあったりもしますね。聞いて聞いて、やっと本心が出てくる。本心が出てきてないと、勝負がかかるスポーツはうまくいないので。『なんで練習でうまくいってるのに、試合でタイム出ないんだろう』っていうのはあったりしました」
思ったような結果につながらない。 そんな現状を脱却するために、2人が始めたのが『交換ノート』でした。 新谷一総コーチ: 「ノートやろうって言ったのは僕ですね。関わる時間を多くしないといけないけど、ずっと一緒にいられるわけではないので、いない時間でもやりとりができる方法を」 Q最初に「交換日記をやろう」と言われた時はどんな気持ちだった? 吉田琉那さん(手話): 「あまり書くのが得意じゃなかったから、えー!?って思いました」 ノートを見せてもらいました。 黒い文字が琉那さん、青い文字が新谷コーチです。
自分の気持ちを相手に伝えるために。そして、相手がどんなことを思っているか、理解するために。 新谷一総コーチ: 「こんなことを思ってたんだっていうのを、感じられるようになった。僕が“こう思ってるんだろうな”っていう思い込みがなくなってきて、相手を見ただけで判断することがなくなってきて、感情と見た目のすり合わせが少しずつ出来るようになってきた」 お互いの気持ちを知ることで、今まではがむしゃらにやっていた練習も、コーチの意図を理解して取り組めるように。
そして、2025年6月の大会では、自己ベストを大きく更新し、念願だったデフリンピック出場資格を勝ち取りました。 吉田琉那さん(手話): 「泳いでタイムを見て、基準タイムを突破してたので、すごくうれしい気持ち。うれしすぎて涙が溢れました」 1冊のノートが変えたのは、泳ぎだけではありませんでした。琉那さんの気持ちも。 吉田琉那さん(手話): 「最初は自分の気持ちを伝えることがなかなかできなかった。言いたくてもなかなか言えないことがたくさんあったけど、交換ノートを始めてからは、自分の言いたいことを言えるようになった」
夢の舞台に、二人三脚で臨みます。 吉田琉那さん(手話): 「目標は、自己ベスト更新。決勝に残ることです」 2025年11月13日放送





