戦後80年 名古屋空襲で街を焼いた父 元B29搭乗員の息子が映画を制作 作品に込められた思いとは

(画面に映る“赤い”人物)
「私たちはそれをM-69または単に爆弾と呼んでいました。そして、はい、それが焼夷弾であることは知っていました。写真を保持していたのは罪悪感からではなかったと、少なくともそう思います。私たちが街に大きな被害を与えたことは知っていますが、その夜に何人が亡くなったかは知りません…」
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真っ赤な画面で、あの戦争について語る人物。
男性はB29の搭乗員でした。これは、太平洋戦争の名古屋空襲をテーマに作られた映画です。
(ボブ・フレミングさん)「不発弾の種類は何ですか?」
(記者)「焼夷弾です」
映画を作ったのは、この男性。アメリカ・ニューヨーク州に住む、ボブ・フレミングさん75歳。
(ボブ・フレミングさん)「アメリカでは(不発弾を)見たことがありません」
「父が落とした爆弾かもしれない…」
ボブさんが訪れたのは名古屋市中区のビルの屋上。目の前では太平洋戦争時の不発弾の処理作業が行われていました。シリアル番号などから80年前の3月19日B29が落とした焼夷弾と特定されたこの爆弾は、ボブさんの父親が落としたものかもしれないのです。
(記者)「(1945年)3月19日に父親は上空を飛行していた」
(ボブ・フレミングさん)「もしかしたら父が落とした爆弾かもしれない。80年前に父が(上空で)何を感じたのか理解するのは少し難しいですが…とても心動かされる光景です」
26年前に亡くなった父、ロバート・フレミングさん。
終戦の前の年、1944年に陸軍航空隊に入り、B29の搭乗員として東京や九州など日本列島を合計32回爆撃。うち6回は名古屋への爆撃、約7800人が亡くなったいわゆる「名古屋空襲」でした。
息子のボブさんが名古屋空襲と向き合うきっかけとなったのは父の死後、遺品から見つかったこの写真。
「NAGOYA」と書かれ、日付は1945年3月12日。名古屋への空襲を上空からレーダーを通して撮影されたものです。
父と“あの戦争” 名古屋空襲の体験者は…
なぜ父親は、この写真を残したのか。
その思いからボブさんは父の飛行記録など、長い歳月をかけて名古屋空襲について調べ、完成させたのがあの映画、「しがみつき 燃え続ける“名古屋消去”プロジェクト」でした。
赤い画面の男性はボブさん自身が演じる父・ロバートさんです
父親はあの戦争をどう考えていたのか。映画は、自ら父親を尋問する形で作られています。
戦後80年という節目の今年。
名古屋で映画を上映するために来日していたボブさん。
名古屋空襲の体験者に会うことに。
愛知県春日井市に住む、森下規矩夫さん(87)。
80年前、名古屋市内で空襲に遭い、語り部としてその経験を伝え続けています。
(名古屋空襲を体験した 森下規矩夫さん)
「当時の三菱重工は戦闘機のエンジンを生産していました。私の父もここで働いていました。私の家もこの辺りにありました」
(ボブ・フレミングさん)「初めは軍需工場を狙って爆撃していましたが、のちに全てを爆撃するようになったんですね」
戦争の悲劇 映画に込められた思い
そして名古屋の戦争資料館、ピース愛知では映画だけでなく、名古屋空襲の画像の上にボブさんが描いた絵も。
(ボブ・フレミングさん)「これが最も強烈な作品です。(空襲の地図上に)逃げ惑う人々、恐怖を表しています」
そして父・ロバートさんの書いた手紙にはこんな言葉が。
(ボブさんが演じる父:ロバート・フレミングさん)
「それが実際に起こるまでわからないものです。今は少しわかっています。それは厳しく、危険です。この取引で友人を失う感覚がわかりました。一日彼らが一緒にいて、次の日にはいなくなります」
一枚のレーダー写真をきっかけに見つめた父親の戦争。
街を消滅させようとした戦争の悲劇を無かったことにしてはならない。
映画に込められた思いです。